赤い声

















 宝条にとって柘榴は未知の果物であった。
 珍しいでしょ、食べてね、と、ルクレツィアが置いていった2個の柘榴は、食べ頃らしく 外皮が割れている。
 どこをどうすれば良いのか解らない彼は、テーブルに置かれている爆ぜた物体を眺め、 首を傾げたまま動かない。
 中からは赤い粒が見えているだけだ。
「どう見ても種子だ」
 そもそも、名前も解らない。
「訊いておくんだった」
 名前が解れば、食べ方を調べることができるのに。
 困ったことに、宝条はその名称を知らないだけではなく、姿そのものも 見たことがなかったのである。
 食べろというからには、やはりこの「種子」だろうか。
 呟いて、そのヒビに指を入れてみる。
 しかし、それは意外にお互いが結束しており、うまく出てくる気配はない。潰れた ひとつのせいで、宝条の指は赤く染まる。
 汁を舐めると、かすかに甘く、痺れるような酸味もある。
 宝条はもう1度、ヒビを覗いてみる。
 赤くつやつやと光るそれらの粒は、存外に美しい。しかし、裂けた皮から 覗くその光景は、ひどくグロテスクでもあった。
「・・・毒のようだ」
 言い、彼が再び指を差し入れようとした時。





「柘榴か」
 ノックもなしに現れたヴィンセントが、そう言った。
 ざくろ。
 宝条はすぐに、その言葉がこの果物の固有名詞だと理解する。
 しかし、困ったことにその名前も知らない。
「食べていいのか」
「ああ。ルクレツィアがくれた」
「懐かしいな、柘榴なんて」
 微かに嬉しさすら湛えた顔で、ヴィンセントはその果実を手に取ると、ばきっと 音がするほど強く、ふたつに割った。
 ぱらぱらといくつかの実が零れ、テーブルには宝石が 撒き散らされたようになる。
 ヴィンセントの大きな手のひらが、ひとかきでそれらを集めて拾う。小さな 宝石たちが、彼の赤い口唇に消えてゆく光景を、宝条はじっと見つめた。
 彼がものを食べるとき。
 特に果物を食べるとき、言葉にできないほど性欲というものを 刺激されることが、ままある。
 しかし、今回は、そんなものの比ではない。
 震えてしまうほどの匂いたつ色香。
 宝条は視界が白く霞むほどに、欲情をしてしまう。
 グロテスクだとすら思ったその真っ赤な果実を、ヴィンセントの 指が躊躇いもなくつまみ、そして口にしてゆく。
 宝条はざわざわとする腕を抑えながら、その動きを凝視する。
 そして、ヴィンセントは嫣然と笑うのだ。
「お前は、果物が嫌いだったな」
 こんな面倒くさいもの、食べる気しないんだろう?
 そう言われたらもう、意識はまるで柘榴のように爆ぜ。





 唐突にソファに押し倒されるヴィンセントの手から、食べかけていた 柘榴の半身が落ちる。
 胸の上にころりと乗ったそれを、宝条が掴む。
 指を突き立てられた真っ赤な実は、無惨な姿になりながら 赤い果汁をヴィンセントの胸に流した。
 血の涙のようだと、宝条は目を細める。
「宝条っ・・・!制服が・・・」
 その言葉を無視して、宝条は苦笑を漏らした。
「まったく・・・、柘榴と君という組み合わせは、実に凶悪だ」
「なに、が・・・」
 当然のごとく無自覚なヴィンセントは、腕だけでも宝条を 押しのけようとしている。
 それが無意味なことだと、とっくに知っているだろうに。
「ものすごい光景だったよ」
 呟き、宝条はヴィンセントの口唇の端を舐める。
 赤い果汁の残っていたそこは、やはり甘酸っぱい。
「君が、自分の眼球を食べているように見えた」
「君が、人の肉を貪っているように見えた」
「君が、生き血をすすっているように見えた」
 それも、とても美味そうに。
「・・・ひどく、そそられた」
 笑う男に、ヴィンセントは目を見開く。
 何かを言う間もなく与えられた口付けは、浅くも、軽くもなく、 彼の口内を蹂躙してゆく。
 まだ残る果実の味に、宝条は息すら奪われたように口付けを重ねてゆく。 先刻の全ての光景が、彼を掻き立てた。
 ひどく苦しそうに、宝条はヴィンセントの耳元で囁く。
 その手は既に腰に触れていた。
「・・・愛しいと思ったんだよ・・・、凶悪な君を・・・」
 その囁きに、ヴィンセントは反抗する力を失う。
 これほど率直に求められることは、ひどく珍しい。
 彼はそれほどまでに、自分に欲情をしているのだ。
 己の眼球を食い、肉を屠り、血をすすっていた自分に。










 彼は裂けた柘榴に指を入れるように、相手の身体に侵入する。
 陵辱される柘榴は、ただ、ただ、赤い声を流すばかり。
 











 うちには柘榴の木があります。
 柘榴は食べにくいし、特別おいしくもないし、なんだかグロテスクなのに、 昔から不思議と好きなものです。
 食べもしないのに、たくさんなっていると嬉しくなる。



2005.09.22




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