今となって思うのは、束縛の術などないということ。
 物を使う拘束、快楽での拘束、脅迫という拘束。
 術として、いくらでも挙げることはできる。
 だが、宝条という男は、哀しい束縛を私に続けた。










 宝条は、退屈をしていた。
 同時に、ひどく枯渇しても、いた。
 隣に横たわる男の身体を見つめて、彼は煙草を吸う。
 ヴィンセントの全身には、数え切れぬほどの紅い鬱血が散らばっていた。身体全体に 何かの花びらを散らしたように、それはあらゆる箇所に散乱している。
 それをつけたのは、誰でもない。宝条自身である。
 自分のものだという証にしては、退屈だった。
 そう、退屈。
 こんな色をつけただけで、なにが「所持の証明」になるというのか。
 これだけで支配欲を満たされる男など、男ではない。
 そう思いながら、宝条は瞼を閉じていたヴィンセントの腕をきつく掴んだ。眠りかけていた ヴィンセントは、迷惑そうに相手を見上げる。
「・・・明日は早いんだ。もう・・・」
 力ない声が全てつながれるより前に、宝条は動いた。
 骨ばり、不健康に白い指が抓んでいる煙草。
 それが、なんの迷いも躊躇いもなく、ヴィンセントの左手の甲に押し付けられる。
 当然、ヴィンセントは目を見開く。いや、それより前に反射的に腕が反抗をした。だが、 宝条はその腕を離そうとはしない。
 熱の痛みに、ヴィンセントは半身を起こす。 眉はきつく寄せられ、目は見開かれたままだ。驚愕と動揺に、言葉は出てこない。
 熱がヴィンセントに触れていたのは、ものの3秒程度だ。
 だが、焼かれた皮膚は穴になり、肉が焼けている。
「・・・・・・な、・・・・・・」
 手を小刻みに震わせ、ヴィンセントは左手を見つめる。
 そんな彼を見つめ、宝条は何食わぬ顔で煙草を吸っていた。
「きみは、・・・わたしのものだ」
 君が悪いほど優しく、つつましく、宝条は微笑む。
 ヴィンセントは下口唇を噛んだ。
「この・・・、人非人・・・!」
 愛する人間から与えられた勲章に、宝条は満足する。
 痛みが増すのは、数時間後だろう。ヴィンセントはきっと、眠りに集中することができまい。 宝条に対する嫌悪に胸を募らせて、夢の中で彼を締め上げるだろう。
 ・・・それでいい。
 それならば、退屈など、しない。










 次の日からその炎症が治るまで、宝条は行為の最中に必ずその傷口に触れた。慈しむように撫で、 口唇で触れ、舐める。そこに膿が流れていようとも、血が滲んでいようとも、構うことはなかった。
 薬を塗ってはいけないよ。
 そう言われたヴィンセントは、当然、なぜだと問いかける。
 だが、すぐにその理由は理解できた。
 自分が愛する所有物への刻印。そこに、第三者が加入することは、宝条にとって 許すまじ行為であった。たとえそれが「薬」でも、「ガーゼ」でも、「氷」でも。
 こいつは頭がおかしいんだ。
 そう自分に言い聞かせ、ヴィンセントはそれらの行為を受け入れた。こんなことをされたという 怒りと、呆れ。だが、痛み以上に彼に与えられたのは、狂おしいほどの愛情だった。










 いつしか、ヴィンセントの身体は傷を増してゆく。
 延々と続く束縛に、彼の身体は抵抗を失っていった。
 この傷を受けるほどに与えられる愛が、彼をきりきりと縛り上げてゆく。自分がそうなってゆくことに、 ヴィンセント自身も気付いていた。
 愚かな男の策略だ。
 相手の身体に傷を刻み、償いのようにいとおしむ。
「・・・おまえは、傷つけなければ、愛せないのか・・・」
 まるで独り言のように、白衣の背中に、言ってみる。
 返事を数秒待ち、それがこないことを悟ると、ヴィンセントはスーツの腕をまくりあげた。 無数に存在する、いくつもの傷跡。治ったもの、治りかけのもの、昨晩つけられたもの。それらを つけられたときの痛みを、彼は忘れることはない。そして、どれをいつつけられたのか、ということも。
 だが、その痛みの後にどのように慈しまれたかも、彼は覚えている。
「こんなものは、ただの刻印だ・・・」
 お前がサンプルにつけるナンバーのような、ものだ。自分のものだという 識別をつけるための、ただの、刻印。
 その言葉に、宝条は唐突に振り向いた。
「ちがう」
 曖昧な言葉ではなく、完全な否定だった。
 宝条はヴィンセントに歩み寄り、まくられたままの腕をきつく握る。
 音もなく爪が食い込み、血が滲む。
「・・・こんな傷じゃ、本当は足りない」
 まだ、まだ、まだ、足りない。
「・・・宝条」
 ヴィンセントは腕を掴まれたまま、淡く微笑む。
「・・・おまえは、いつか私を殺すのだろうな・・・」





 


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「全てを受け入れることが宝条を救う」と信じているのがこの頃のヴィンセントだとしたら、 「ルクレツィアが危険だ」と、宝条に対して抵抗を始めたときから、彼は「全てを壊すことが 宝条を救うことだ」と信じ始めたのではないか、と、考えました。



2005.05.17







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