月も、星も、なにもない晩だった。
 その日は、街の明かりすらも消えてしまっていた。
 神羅本社の制御ミスで、魔晄炉からのエネルギーが一時的に遮断されるという事故が 発生していた。復旧までは1時間。神羅にしては時間をかけすぎている。壱番街から 順に障害は解除されるらしい。
 それを聞いた宝条は、白衣のまま、本社を飛び出した。
 行くべき先は、八番街と決めていた。
 その街が、1番長く、暗闇に包まれる場所だ。










 本当の暗闇というものを、ヴィンセントは久しぶりに感じた。
 この都市は、昼は薄暗いくせに、夜は煌々と明るい。その中途半端さが、ヴィンセント は嫌いだった。
 唐突に訪れた暗闇に、ヴィンセントは狼狽もしなかった。
 非常用の電気が灯ると、すぐに窓際に向かう。
 光を失った街の中で、神羅本社と魔晄炉だけが浮き上がっている光景に、 彼はしばらく見入った。
 しばらくそれを見つめた後、彼は宝条のオフィスに向かう。
 だが、そこに、目的の人物はいなかった。
 取り散らかった実験器具と机の上。
 椅子にはコートがかけられている。
「・・・またか」
 彼の行動を静かに理解して、ヴィンセントは息をついた。










 ペンライトの光だけを頼りに、宝条はその場所へやってきた。
 神羅本社から、そう遠くはない、廃工場だ。
 徒歩10分ほどで来ることができる。
 ここが何を作っていた場所なのか、宝条は知らない。
 窓際に放置された、名前も解らない機械に座り、宝条は空を見上げる。ペンライトを消すと、 そこには漆黒の闇が広がるばかりだ。
 ガラスのない窓から、冷たい風が入ってくる。
 宝条は膝を抱え、目を閉じた。
 手のひらに何かが当たる。
 感触からして、手に握る何かのようだ。指を滑らせると、スイッチのようなものがある。 宝条はそれを持ち、スイッチを押してみた。
 何かが回るような、動くような、機械の音。
 手には僅かな振動が伝わる。
 だが、その動きは徐々に弱くなり、やがて、止まった。
 それを置き、宝条はさらに手で撫でてみる。
 先端、といえる場所には、触ったことのある感触。
 細く・・・、プラスの形になったもの。
「・・・ドライバーか・・・」
 誰に言うともなく呟き、最後の力を使い果たしたそれから手を離す。余力が残っていたのに、 こんな場所に放置されてしまった機械。
 もしかしたら、自分が座っている機械も使えるのだろうか。
 そんなことを考えながら、宝条は再び目を閉じた。
「今は何時だろうか・・・」










 唐突に鳴り出したベルの音に、宝条は目を開く。
 今どき、こんな音。
 そう思ってしまいそうな、電話の呼び出し音だった。
 その音は近く、彼が座っている窓際の壁から聞こえていた。暗闇の中で、 赤い小さなランプが点滅している。
 そこに手探りで触れると、受話器らしいものがあることに気付く。こんな電気の 死んでいる廃工場に鳴り響く電話は、一種の物悲しさがあった。
「・・・はい」
『やっぱりな』
「・・・・・・、・・・・・・、ヴィンセント」
 宝条が出たことに、相手は笑っていた。
 出たほうもまた、笑っていた。
「大したものだ」
『そこの非常用電話が生きているとは思わなかった』
「・・・ここは案外、生きているものが多い」
『そうか』
「・・・・・・本社は大忙しか」
『ああ。だから、私も逃げているところだ』
 耳をこらすと、エンジン音が聴こえる。
 どうやら、相手は車に乗っているらしい。
 宝条は受話器を持ち直し、再び機械の上に座った。
 街には未だに明かりが戻らない。この八番街が 復旧するのは、だいぶ先になるだろう。
「今は、どこまで復旧した」
『まだどこもだめだ。事故から30分しか経ってないからな』
「・・・そんなものなのか」
『もうすぐそこに着く』
 その言葉に、宝条は小さく喉を鳴らして笑った。
「会いにきてくれるのか」
『ばかを言うな』
 静かな否定の声と共に、電話はぷつりと切れた。
 宝条は手探りで受話器を置き、再び持ち上げてみる。だが、 そこからは何の音もしなかった。
「これも、もう死んでしまったのか・・・」
 最後に伝えたものが、自分たちの言葉だったなんて。
「・・・おまえはもう、声をすら出せないんだな」
 あのささやかでけたたましいベルを鳴らすことは、もう、2度と。










 首筋に不意に触れた温もりに、宝条は肩をすくめた。
「・・・音もなく歩くのは、やめてほしいものだ」
「おどろいたのか」
「まさか」
 宝条は、手さぐりでヴィンセントの腕を掴む。
 相手の顔は見えなかったが、その表情は解っていた。
「どうせ、笑っているんだろう」
「・・・おまえもな」
「・・・・・・ここは楽しいから、笑いたくなるさ」
「ひとりで逃げ出すとは、卑怯なものだな」
 ヴィンセントは腕を掴まれたまま宝条の隣に座る。
 冷たい風に吹かれながら、ふたりは漆黒の闇を見つめていた。
「まだ、壱番街は復旧しないか」
「・・・あと、少しだろう」
「じゃあ、ここに明かりが来るのは、もっと後だな」
 独り言のような宝条の声に、ヴィンセントは返事をしない。
 そんな彼の頬を、宝条は両手で包み込む。
 柔らかく、熱を持った口付け。
 2人は目を閉じなかった。
 そんなことに、意味などなかったから。
 口唇を微かに触れ合わせたまま、宝条は呟く。
「あの電話は、もう死んでしまったよ」
「・・・そうか」
「ここにあったドライバーも、さっき、死んだ」
「・・・・・・」
「まだ生きてるものが、きっとある」
「そいつらに、見せるのか」
「・・・なにを」
「これからすることを」










 そこでの行為に、2人は没頭した。
 見えない相手を貪り、見えない相手に貪られる。
 熱い身体に反して、頭の中は冷静だった。
 そんな2人の近くで、再び、ベルの音。
 静寂を切り裂く音は、1度だけで途切れてしまった。
 彼らは息を乱したまま、見えない相手を見つめる。
「・・・宝条、・・・電話は、死んだんじゃなかったのか」
 相手を非難するようなヴィンセントの言葉に、宝条は息だけで笑う。 熱い肌を指でなぞりながら、言い訳を考えた。
「・・・君が声を出さないから、彼が出してくれたんだろう」
「・・・・・・ばかなことを」
「死人に鞭打つようなことをしないで、君が出せばいいだけさ」
 笑う宝条に、ヴィンセントは何も言わない。
 返事の代わりに鼓膜を震わせたのは、ただ、甘やかな吐息ひとつ。








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 仕事で廃工場になりかけたところに行きました。
 広く、薄暗く、静かな、誰もいない場所にベルが鳴り響くのは、なんだかとても不思議で、 その廃工場自身の声のように聴こえました。



2005.05.06







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