優しい月






 その晩はたしか、月がなかった。
 新月だったのか、隠れていただけなのか、解らないが。
「どうだったか、君は憶えているか?」
 新聞紙から目を上げて、ヴィンセントは首を傾げる。
 暦を見て、そしてまた、紙上に目を戻す。
「新月だったんだろう。星も見えていたしな」
 興味がなさそうな口調だった。
 宝条は「ふむ」とひとつ頷き、再び仕事の手を動かす。
 動かしながら、再び口が開いた。
「星を、いつ見たんだ」
「・・・窓からさ」
「そうか。私は見ていなかった」
「おまえはいつも、月しか見ていないから」
 だから、その周りにあるものなんて、どうでもいいんだろう。
「そんなことは、ないさ」
 男の相槌に、小さく笑みが含まれる。
 ヴィンセントは横目で、その肩が動くのを見ていた。





「明日からは、3日ほどここを空けるよ」
「・・・出張か」
「ああ。コスタだ」
 ヴィンセントの目が、再び暦に動く。
 彼がいないという日は、満月であった。
「良かったな。海から見る満月は、綺麗だ」
 なんの気もなしに彼が言った言葉に、宝条が振り向く。どこかしら、不服げな 色を映して、彼は席を立った。
 背後に宝条が立つ気配を感じ、ヴィンセントは目を上げる。
「・・・満月の晩はいつもより、星が見えないな」
 彼の呟きに、宝条は応じない。
「月が明るすぎて・・・」





 背後からヴィンセントを抱きすくめて、宝条は呟く。
 換気扇の音に掻き消されそうなほど、小さな声だった。
「・・・君がいない満月など」
 自分の体に回された腕に触れ、ヴィンセントは苦笑を漏らす。
「新月の晩の、星の気持ちが解るか?」
「・・・・・・?」
「いつもいるはずの月がいない、そんな、気持ちが」





 明日から3日間。
 私は、そんな星のように、ただ、ただ、煌々と。





 月の帰りを、待ち続ける。





「ヴィンセント」
「なんだ」
「私は月じゃないから」
 だから、月の気持ちは解らない。
 そう言って、彼はヴィンセントの首筋に口付ける。
 体温の低い口唇だと、ヴィンセントは思う。
 そして、ひどく、優しい。





 月の口付けは、これほどにも、優しかっただろうか?





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 よくわからない話ですが、宝ヴィン。

 私の大切な人が、娘の名前に「優月」とつけました。
 それを知って、いつかこのタイトルで話を書こうと思っていたのですが、 まさか宝ヴィンになってしまうとは。
 宝ヴィンには、月が似合います。



2005.02.12







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