きみの骨髄

















 深い闇が流れる、月のない夜。
 ヴィンセントは、宝条の後ろを歩いていた。
 宝条が向かうのは、生きる者の匂いがしない場所。
 墓場でもなければ、死体安置所でもない。
 死体農場だ。
 身元不明死体の献体をあらゆる状況下にさらし、腐敗の進行などを調べ、 死亡推定時刻をより正確に割り出すために、その研究所は存在している。
 ミッドガルで、その場所を知るものはとても少ない。噂には聞いたことがあっても、誰ひとりとして、 その正確な場所は知らないのだ。
 宝条の「秘密の場所」は、まさにそこであった。
 幻のような場所だ。
 ヴィンセントは、初めてそこを訪れたとき、素直に驚嘆した。
 池の中、木の枝、車の中、草葉の上。
 そこかしこ、あらゆる場所にしたいが放られて、腐敗している。
 木々が鬱蒼と茂り、腐敗臭が漂い、空気が篭っているような気がする。  だが、このような光景はなかなか見られるものではない。ヴィンセントは 口元にハンカチをあてながら、辺りを見渡した。
「いつも内緒で、こんな所に来ていたのか・・・」
「いい場所だろう。すぐ間近で、帰依してゆくのを見られる」
「・・・帰依?」
「腐敗は帰依だ。汚くも、醜くもなく、むしろ美しい」
「美しい・・・」
 言われて首を巡らせるが、ヴィンセントはすぐにそのように思えるほど、 腐乱死体に慣れているわけではない。
 眼球から蛆の湧いた男性死体から、目を背けてしまう。
「それで、なぜ私を連れてきた」
「極秘の仕事だからさ」
「・・・仕事?」
「ある献体から、出るはずのない茸が生えた。この一帯で相互汚染を するわけにもいかないから、至急運び出して原因を調べてほしいそうだ」
「ここは研究所だろう。ここでできないのか」
「至急、と言っただろう。神羅のほうが設備がいい」
 この研究所も、神羅の草分けだから、仲良くしなくてはならん。
「見返りは?」
 ヴィンセントの問いに、宝条が足を止める。
「・・・見返り?」
「こんな、お前の好きそうな場所だ。礼に何かをもらうのだろう」
 サンプル、とか。
「・・・いいものをもらえる、とだけ言っておこう」
 振り向いた首を元に戻して、宝条は湿度の高そうな闇の中を歩く。
 明かりの数は少なく、ヴィンセントはポケットからペンライトを出した。
「これだ」
 足を止めた宝条の目の前には、背の高いブナの木が生えている。その幹に 寄りかかるようにして、男性の死体が置かれている。
 女性の腹には深い裂傷があり、そこから、見たことのない茸が 大小合わせて4、5本生えている。色は茶色く、どこにでもありそうなものだが、 素人目のヴィンセントにはわからない。
 ふたりは手袋をはめ、寝袋のようなボディバッグを広げ、 女性を持ち上げて袋に入れる。プラスチックの ファスナーを閉じ、トラックまで運ぶ道すがら、ヴィンセントは「何かに 感染しなければいいが」と呟いた。
 宝条は、なにがおかしいのか、少しだけ口元を歪めた。





 果たして、茸の正体は毒を持つものであった。
 生前、この茸の毒を盛られて死んだのだろう。
 検死台の横でマスクを外しながら、宝条は息つく。それほど 興味深い結果ではなかったらしい。
「どこか、ミッドガル以外の場所で毒をもられたのだろう」
「・・・毒殺犯の7割は女性だときく」
「痴情のもつれだと?」
 微かに笑い、宝条はヴィンセントに手袋を投げた。
「身体をひっくり返す。手伝え」
「え?縫合は終わったのだろう」
「これから、礼を貰わなければならない」
「・・・礼?」
 言われるがままに身体を裏返し、宝条は注射器を取り出す。ヴィンセントが 見ている中、彼は躊躇いもなく、男の腰にそれを突き刺した。
 赤い液体が、注射器の中を満たしてゆく。
 ヴィンセントは、それが骨髄であることをすぐに悟った。
「・・・骨髄液をもらうことが、礼だったのか?」
「死体の骨髄液は、なかなか、手に入らないからな」
 貴重なものだ。
 そう言われても、ヴィンセントには何が貴重なのか解らない。生きていれば 白血病の治療にも使えるだろうに、なぜ、死体のものを――。
 スピッツに骨髄液を入れ、宝条は再び死体を仰向けにする。
 無造作に布をかけ、彼は部屋を後にした。
 まるで、「もう、その男に用はない」とでも言うように。





「宝条!待て!」
 ヴィンセントは男を追いかけて、その腕を掴む。
 白い廊下と、白い壁と、白い服と、白い顔。
 この男を囲う白さは、清らかさではない。
 むしろ、色が失われてゆく、静かな虚無感。
「・・・それを、どうするつもりだ」
「研究に使う」
「なんの!」
「・・・屍毒さ」
「・・・・・・屍毒・・・・・・」
「知らないのか?有機体の中にあるアルカロイドは、腐敗によって 屍毒に変わる。大昔から利用されていた毒だ」
「なぜ・・・、わざわざ人間のものを・・・」
「動物には飽きた」
 ヴィンセントの手が、するりと解ける。
 泣き崩れられるのならば、いっそ、そうしてしまいたかった。
 呆然と、どうしようもできないことに立ち尽くすぐらいなら、目の前の男を 罵ったほうが、遥かに楽だ。
「・・・、宝条、どうしてお前は・・・いつも・・・」
 いつまでも、
「ひとの道を外れてゆくんだ・・・?」
 項垂れ、まるで泣きそうな顔で言うヴィンセントを、宝条は見つめる。
 彼は、手に持っていたスピッツを、胸のポケットに仕舞った。
「・・・私が、これで何を研究するか、わかるか?」
「・・・・・・」
「マウスに使い、人間の致死量を知るのさ」
「まさか・・・、いずれ人間に使うつもりなのか?」
 胸のポケットから、骨髄液の赤さが、透けて見える。
 宝条は俯き、静かに、静かに、微笑んだ。
「もし・・・、もしもだよ・・・」





 きみが、私よりも先に死んでしまったら。
 ・・・私は、君の毒で死にたい。





 なぜ、だろうか。
 ヴィンセントは、己の頬に流れる涙を、止められなかった。
 異常なまでに歪んでしまっている倫理観?
 他人の身体から取り出したもので研究する、愚かな姿勢?
 それとも、深すぎる愛?
 確かなのは、何もかもがずれているということ。
 どうしようもできないことが、増え続けてゆく、ということ。
「ヴィンセント・・・、なぜ泣く」
 問われたところで、答えなど解らない。
 彼は口元に手を当てたまま、ただ、涙を流す。
「ヴィンセント・・・」
 白い指が、頬に触れた。
 まるで、許しを請うような、哀しい瞳。
 ヴィンセントは宝条を掻き抱いた。
「・・・・・・私は、お前より先に死ぬことはない」
 だから・・・・・・、
 だから?
 ヴィンセントは、口を噤む。
 そんな研究はやめてくれと言うはずが、できない。
 言ってしまえば、これほどまでに深い愛を、拒絶してしまう。
 拒絶できないのが罪だということは、わかっていた。
 しかし、どうしようも、なかったのだ。
 彼を正しい道へと戻すことよりも、この愛を、受け取りたかった。





 この心の芯を。
 この身体の髄を。
 差し出したいと。
 そう思ってしまったのだ。












 死体農場は、説明がいる分だけ前置きが長くなりそうだったので、 あまり使いたくなかったのですが、なんだか色々と都合を 考えたら、やっぱり書かざるをえませんでした。
 この場所(実際はテネシー大学人類学施設)についての本は いくつか出ているので、もし興味のある方は探してみてください。
 そもそも、ミッドガルでは死体農場はあまり機能しなさそうですね笑
(自然自体が少ないのだろうし)




2007.09.20







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