次の、はさみ

















 ニブルヘイムの街の外。
 青く茂る草の上に、宝条は足を投げ出している。
 白い瞼は、時折眠そうに、ゆっくりと瞬きをする。
 柔らかく温かな風に、彼の髪の毛が散ってゆく。
 ヴィンセントは黙ったまま、しゃきんしゃきんと、鋏を鳴らす。
 金属の冷たい音すら、宝条には心地よかった。
 ここは天気が悪いし、街も退屈で気分転換の方法もないから、髪の毛でも切ってくれないか。
 そう言ったのは、誰でもない宝条自身である。
 耳も隠れるほど伸びていたが、どうしても街の床屋で切る気にはなれなかった。1度行って、 ひどく不満なカットをされたからである。
 以来、仕方なくぎりぎりまで伸ばしては、ヴィンセントに切ってもらっている。
 彼はそのように、どうでもいいところで器用で、しかし宝条は、そんなところも いたく気に入っている。
 こうして、天気の良い日に切ってもらうのは、実に幸福だ。
 以前、つい眠りかけてしまい、前髪をざくりと切られてしまった。
 ヴィンセントはひどく不満そうにして、しかし文句も言わず――おそらく、自分の髪の毛ではないから どうでもいいのだろう――黙って切り続けてくれた。
 しかしそれに懲りて、宝条はなるべく眠らないようにしている。
 冷たい指が首や、耳や、額に触れるとき。
 はっとして目が覚める。
 それは冷たさにというよりも、彼の存在に、だ。
 そうだ、切られていたんだった。
 そう思わせる指だと、思う。
 それほど、音以外の感覚を全て感じさせずに、彼は髪の毛を切る。
 この場所に吹いている風のように、鋏を使う。
 その美しさといったら――。
 宝条はいつも、物哀しくなり、笑ってしまう。
 ささやかすぎる幸福はいつも、彼をそんな表情にしてしまうのだ。
「終わったぞ」
 そう言われても、宝条は動かない。
 次にヴィンセントがすることを知っており、そして待つのだ。
 切られた短い髪の毛がついた肩や背中を払う、その手のひら。
 羽箒よりもずっと優しい手で、ヴィンセントは宝条の華奢というには上品すぎる、 やせた肩や背中を払うのである。
 それから、正面に回って、襟や、額や、鼻筋も。
 柔らかな風が吹き、宝条の前髪をふわりと持ち上げる。
 それですら、ヴィンセントの指のささやかさには敵わない。
 いつも訪れるその幸福を、宝条は言葉にすることができない。
 数式にしろと言われても、きっと、できない。
 ただ、もっと早く髪が伸びてくれたらいいのに、とだけ、思う。
 隣で鋏を拭いているこの男に、また、切ってもらえるように。





 いつも、いつも、切り終わるたびに思うのだ。
 これが最後かもしれない。
 次に髪が伸びる頃には、――何かが・・・、終わっているかもしれない。
 だからだろうか。
 その瞬間の幸福がひどくいとおしく、しかし、哀しいのは。





 目を閉じて「次」を切望する自分に、彼は少しだけ、笑ってしまった。












 書き終ってから、
「ああ、そういえば、こういうのが書きたかったんだなぁ」
 と解りました。

 おかかえ美容師さんとか、いたらいいなぁと思います。



 2006.02.02




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