空想ポルノ男優

















 神羅本社にあるカフェでは、決まってジャズが流れている。今日は昨年亡くなった フルーティストのベスト盤らしい。その調べに目を閉じて、ヴィンセントは 目の前の白いコーヒーカップに口唇を当てる。
 相対する男は、モカの香りが強いブレンドに眉を寄せてカップを置くと、 神経質そうにおしぼりで指の間を拭いた。
「私のラボで飲むもののほうがうまい」
「・・・そうだとしても、私はこちらのほうがいい」
「なぜだ」
「ここでは、カップで飲めるからさ」
 多少の金を払っても、ビーカーよりはいいと彼は考える。
 ばさりと新聞紙を広げるヴィンセントに肩を竦め、宝条はいささか不満の あるコーヒーにもう1度口をつけた。
 退屈そうに顎を撫で、ちょうど入ってきた科学部門の平社員ふたりが ヴィンセントの後ろ側の席につくのを眺める。ふたりが、ただ「コーヒー」とだけ ウエイトレスに告げるのを聴き、「それよりもラボで飲むもののほうがいい」と 忠告しそうになる。
「・・・まったく、またクーデターか」
 呟くヴィンセントの言葉には返事をせず、部下たちがテーブルの上で開いているらしい雑誌に 視線を延ばしてみる。
 それは品性のない雑誌ではあるが、娯楽と割り切れば実に楽しめる1冊のように感じた。
 ふたりの社員はページを指差してくくっと笑う。
「こいつ、ゲイリーに似てる」
「でもあいつよりデカい」
 宝条は、ふむ、と笑った。
「ゲイリーのものと『これ』では、どちらが大きいのかな?」
 ヴィンセントは驚愕した顔で新聞から勢いよく顔を上げる。
 白衣の男はスティックシュガーを持ち、彼の背後から後ろの席に向かって笑っていた。
「ほ、宝条さん」
 素早く雑誌を閉じて、部下のひとりが顔を伏せる。
「ゲイリー似を見せてくれないか?」
 ふたりは雑誌を掴むと、まだ出てきてもいないコーヒー分の伝票を取って立ち上がる。
「そ、そろそろミーティングがあるんで、失礼します」
 これ、どうぞ。
 押し付けるようにして雑誌を宝条に突き出し、ふたりはそそくさと出口に向かう。ウエイトレスに 「釣りはいらないから」なんて言っているのが想像できる素早さだ。
 宝条は、そんなふたりの背中にわざと大声を上げる。
「おーい!ゲイリー似は何ページだ!?」
 一瞬出るのが遅れてしまったひとりが、気まずそうな顔で振り向く。
「28ページです」
 蚊の鳴くような声も、静かなカフェでは簡単に通りぬける。
「ありがとう」
 紳士のような笑顔を見せて手を振る宝条を、ヴィンセントは静かに睨み据えていた。





「ああ、確かにこれはゲイリーに似ている」
 ヴィンセントは、くくっと笑っている宝条ではなく、目の前で広げられている 雑誌に視線を落としたまま動かない。
 そのゲイリーとやらに似ている(らしい)男は、南国のホテルにあるような ベッドの上で、下着姿の全身を晒している。舐めるような目と、誘うようなポーズ。 筋肉質で健康的に焼けた肌の上には、汗のように 見せかけた水滴が浮いている。
「だが、ゲイリーはこんなにいい身体でもないだろう」
 からかうような言葉を続けて、宝条はぱらぱらとページを繰る。
 どのページにも、男たちのグラビアが映っており、しかもそれは全て ヘアヌードであった。肝心な部分は隠しているが、それでも明らかに 欲情を誘ったような写真であることに変わりはない。
 絶句したまま動かない――実際は、動けない――ヴィンセントに、宝条は見開きの ページを突き出す。
「こんな男はどうだい?」
 モデルのような体型の男だ。確かに、一般的には美形と呼ばれる部類だろう。だが、ヴィンセントは そんな判断すらできない。
 初めてAVを観た少年のように頑なに、首を素早く左右に振る。
「・・・しらない」
「それは適切な答えじゃないだろう。好きか嫌いかで答えるべきだ」
 どうなんだ?
 試すように、宝条の口唇が笑みという形に歪む。
 ヴィンセントは何も言わないまま顔を伏せた。
「・・・まあいい。それにしても、君ほどの美人はなかなかいないものだな」
 本音らしい響きで呟き、宝条は「今月発売の新作」というページで目を留める。新しく発売されるらしい、 ゲイ向けAVの内容を網羅したページらしく、生々しい画面の写真等が写っている。
 宝条は丁寧にその内容を読んでゆく。
 数ページのそれ読み終わると、彼は良い提案をするかのようにテーブルの上で指を組み、 ヴィンセントを見つめた。
「君がゲイ向けポルノの男優になったら、とても売れるだろうね」
 突拍子もない言葉に、それまで頭の整理すら出来ていなかったヴィンセントは、 なんとか口を開く。
「・・・ふざけるな」
「実にいい仕事じゃないか。私は君が出るなら買うさ」
「・・・なんで私が、そんな」
 続きを言えずに、彼は無言のまま相手を睨む。
「カメラの前で、他の男に抱かれなくちゃならないのかって?」
 まるで、何も解っちゃいないと言うような口調。
 向き合っている足の脛を蹴り、へし折ってやりたい気持ちになる。
 ヴィンセントは下口唇を噛み、乱暴に伝票とジャケットを掴んで立ち上がる。新聞のことなど、 もう頭にはなかった。





「・・・なぜ、いつまでも怒っている?」
 夜が訪れ、ふたりはヴィンセントの部屋のベッドに腰掛けている。
 しかし、ヴィンセントはジャケットどころかネクタイすら緩めずいる。険しい顔をしたまま 身動き一つとらない彼を見つめ、宝条は溜息をついた。
 だが、彼にはヴィンセントの屈辱など、知る由もない。
 いや、何も知らないのだ。
「君がポルノに出たら売れると言ったことに怒っているのか?」
「・・・・・・」
 そんなからかいに憤慨するというレベルの問題ではない。
 ヴィンセントはただ。
 ただ、・・・ひどく切なかった。
 隣にいる男が、自分を理解していないという単純なことが。
「・・・ヴィンセント、何か・・・」
 言ってくれないか。
 そう、宝条が口にするよりも早く。
 ヴィンセントの手が、彼のネクタイを強く引く。
 その強さに反して、与えられた口付けはひどく拙く、触れたか触れないか理解するのも 難しいほど、ささやかだった。
「・・・私は生まれてこの方、男に惚れたことなどない」
「・・・・・・そう、だろうね」
「お前にだって、惚れてなどいない」
「・・・そう、だね」
 苦笑する宝条のネクタイを持つ手を緩めずに、ヴィンセントは続ける。
「男を抱きたいとも、抱かれたいとも、思わない」
 まして、お前などには。
「だが・・・、・・・私が・・・」
 哀しみと悔しさの混じった表情が、苦痛の色すら浮かべる。
 理解してもらえないのは辛い。
 だが、理解させるのも、苦痛を伴う。
 宝条は、自分の胸元を掴んでいる手に触れた。
「・・・君が、自分からキスをするのは、私だけだろう?」
「・・・・・・」
「無言は、肯定と取るが、いいのか?」
「・・・・・・」
 手を外され、ヴィンセントは目を伏せる。
「君が男を抱くにしても、抱かれるにしても・・・、私しかいない」
 そうだろう?
「・・・知ってるさ。君が、心底ゲイなんかじゃないことぐらい」
 快楽に流されやすい連中とは違うことも。
 私に愛情なんてないことも。
 だが・・・。
「それならなぜ、君は私と身体を繋ぐ?」
 ゆっくりと上げられた瞳が、困惑に震える。
 深紅の瞳が所在無く動くのを見て、宝条は苦笑した。
 ・・・互いに、認めたくないだけだ。
 言葉にしたら、何もかもが壊れてしまうことを知っている。
 だからきっと、今夜もまた。





 こんな男を愛するぐらいなら、舌を噛み切って死んでやる。
 この男以外と身体を繋ぐなら、両脚を切り落とされても逃げてやる。





 そんな矛盾から、目を逸らす。















 2005.12.16




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