not so bad.

















 窓が曇っている。
 それを見て、ヴィンセントはもうそんな季節かと考えた。
 白く曇った窓の外には、いつもと変わらぬ夜景が見えている。しかし、それも 常より透明に感じた。
「どうりで、寒いと思った」
 呟くと同時に、宝条の左手がその窓に触れる。
 その手のひらは虹のようなアーチを描いて水滴を拭った。
 本当はやめてほしいとヴィンセントは考えている。窓が乾いたときに手の皮脂が残ることが嫌だから、 この季節になると常に窓ガラスの付近にタオルを置いているのだ。しかし、 今日は間に合わなかった。
 だが、まあいい、とも考える。
 宝条のその手が、とても美しく曇りを払ったから。
「急に冷えると、サンプルが心配だ」
 再び言い、宝条は透明なアーチから夜景を覗き込む。
 ガラスに鼻がつきそうなほど、顔を近づけて。
 アーチには、既に上から滴る雫が流れてきている。宝条は、もう1度同じ手つきで、 同じ場所を拭った。
 しばらく夜景を眺め、宝条は思いついたようにガラスから顔を離す。
 振り向いて、ヴィンセントに小さく笑う顔は、やはり何か良いことを思いついたような 表情をしている。
 本当に、良いことならいいけれど。
 そう考えながら、ヴィンセントは黙って男を見つめる。
 宝条はまっすぐに窓のほうを向き、人差し指で窓に触れた。
 左手の、ひとさしゆび。
 とても綺麗だと、いつも思う。
 左利きの宝条が、その左手で何かをすることが、ヴィンセントにはいたく 美しく感じられるのだ。
 どこも良いと思えるところなどない人間であるのに、その左手だけは 自分にはないものであるが故に美しい。
 なにより、自分と反対なのがいい。
 互いに触れようとすれば、利き手同士が触れる。それがとても 素晴らしく、うまくいっているような気がする。
 世の中、うまくできていると。
 その宝条の指が、窓に文字を書いていた。
 not so bad.
 僅かに癖のある文字が、アーチの上に書かれている。
 窓ガラス越しに目を合わせて、宝条は笑った。
「そう思うだろう?」
 ・・・悪くはない。
 そうだろう。
 not so bad.
 口に出して、もう1度、そうだと考える。
 なんと自分たちの関係を言い表している言葉だろうか。
 良いなどとは決して言わないが、悪いとも言わない関係。
 たとえば、この男の左手を好きだなんて、口が裂けても言ってやらないのと同じだ。もし好きかと問われても、 悪くはない、としか言ってやらないだろう。
 そして、こんな関係もきっと「not so bad」なのだ。
 ヴィンセントは宝条の左隣に立ち、窓に触れていたせいで僅かに 濡れている左手をとる。
 宝条は黙ったまま、それでも首を傾げていた。
 冷たい指。
 人を殺している指。
 美しい指。
 それに口唇を押し当てて、ヴィンセントは目を閉じた。
 まったく、ほんとうに冷たくて、・・・美しい。
 そしてなにより、悪くない。












 セフィロスの左利きは、博士ゆずりだといいな。



2005.10.08




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