ルール





























 あれに乗ろう。
 白衣の男が、高い場所を走るジェットコースターを指差す。
 ヴィンセントはうんざりしながら、それを見上げた。





 遊園地での任務だった。
 平日の昼間。閑散としたそこでの小さな取り引き。
 当日になってから宝条にこの任務のことを話してしまったのは、誰でもない、ヴィンセント本人である。 彼はそれを口にした一瞬後、それが失言だったと気付いた。
 しかし、時既に遅し。
 こんな場所に、ふたりで来ることになってしまって。










 日曜になれば、それなりに賑わうのだろうこの遊園地は、 今はまるで廃園寸前のように人がいない。それなのに、 アトラクションの数々は機能し、人影もないのに それらは動き、陽気な音楽を溢れさせている。
 不思議な場所だ。
 ヴィンセントはベンチに座り、煙草を取り出す。
 そんな彼を見て、宝条は肩をすくめた。
「仕方なくついてきた父親のようだな、君は」
「私は仕方なく、おまえとここにいるんだ」
「恋人に向かって失礼なことを言うものだな」
「あれに乗って頭を冷やしてきたらどうだ」
 高い場所に徐々に昇り、急に落下するというやつ。
 それがなんという名前なのか、ヴィンセントは知らない。
 顎でそれを指し、彼は煙草に火をつける。
 そしてその時初めて、自分たち以外の客を見つけた。
 メリーゴーランドに、そのふたりはいた。恋人なのだろう。 汚れた馬の人形に乗っている女を、男が微笑んで見つめている。女は 近づくたびにその男に手を振り、男もまた、律儀に手を振り返している。
 愛し合っているのだろうと、すぐにわかった。
 何周かして女が戻ってくると、ふたりは寒そうに 身体をぴたりと寄せて歩き出す。その背中が見えなくなり、 ヴィンセントがふと視線を戻すと。
 宝条が腕を組んで、笑っていた。





「あれに乗ろう」
 宝条が指差すのは、どれだけ高いだろうと思われるジェットコースターだ。 日曜になれば待ち時間が多少ありそうなものだが、きっと今は、 何度だって乗ることができる。
「いやだ」
 首を左右に振り、ヴィンセントはベンチから立とうとしない。
 そんな彼に、宝条は呆れたように首を傾げる。
「じゃあ、何ならいいんだ」
 あんな馬には、乗りたくないだろう?
 からかうように言われ、ヴィンセントはむっとしたように立ち上がる。そして無意識に、 少しだけ遠くに見えるものを指差した。
 それは、丸い、丸い、観覧車。










 乗ってから、すこし、後悔した。
 なぜ自分が不意にこれを選んだのかも、解らない。
 解らないまま、「待った」も許されず、ヴィンセントは宝条に 引きずられてここに乗ってしまった。
 約20分間の、長い時間。
 これなら、ジェットコースターに乗ったほうが、ずっと 早く終わったのではないかと 思われる。
 沈黙のまま、ふたりは離れてゆく下界を見下ろす。
 どんよりとした空に近づいてゆく。
 本当に誰もいないことが、ここにきて解る。
「・・・あのふたりは、どこにいるんだろう」
 呟くと、宝条は乾いた息ひそやかに笑う。
「ここに乗っているかもしれないぞ」
 そして、同じように、あの白いひとと黒いひとは、どこにいるんだろうなんて、 話しているかもしれない。
「・・・・・・」
 本当に、そうかもしれないと思う。
 そして、ここに乗ってるかもしれないね、と話しているのかも。
 そう考えると、なんと不思議なことだろうか。
「キスしようか」
 突然言われ、ヴィンセントは「なぜ」と問うことも忘れた。
 狭いものの中で、ふたりはごく簡単に口唇を触れ合わせる。
 それが終わると、ヴィンセントはその姿勢のまま首を傾げる。
「なぜ、キスするんだ」
 同じように身を屈めた姿勢のまま、宝条は笑う。
「ここに乗った恋人は、みんなそうしているからさ」
 まるで、全てを見てきたかのように、彼は言う。
 だが、ヴィンセントにもそんな気がした。
 そして、この空の中にいるあのふたりも、きっとしている。
 もう1度、今度はさっきよりも少しだけ長いキスをして、ふたりは姿勢を 元に戻した。
「降りるときには、恥ずかしそうにするんだ」
 乗るときよりも幸せそうに、それでいて恥ずかしそうに。
 そして、しばらく歩いたら、手を繋いで、帰るんだ。
 それが、ここに乗る恋人たちのルールだから。
 どこか遠く――下ではない。遠くだ――を見つめて、宝条はとても可笑しそうに、 それでいて、真面目に、そう言った。





 降りるときは、そのとおりにした。
 というより、なぜかそうなってしまった。
 しかし、手は繋がなかった。
 それだけは嫌だと、ヴィンセントが言ったのだ。
 そのままふたりはヴィンセントの部屋に帰り、 簡素なセックスを2回して、それよりも簡素な食事をした。
 きっとあのふたりも、今頃こうしている。そんなことを話しながら、 ふたりは幾度も、つつましく笑った。








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2005.10.05







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