Homeopathie







 彼と付き合うのは、痛いでしょう?





 その女性はそう言った。
 言いながら、八重歯が覗く。
 イリーナは、何度も見たことがあるはずのその女性と、初めて言葉を交わした。いつものバーで、 いつもカウンターの左端にいる女。その人物が、レノと顔見知りであることは、知っていた。
 だが、イリーナも女も、決して会話をしようとなかった。
 それが破られたのは、今夜。





「・・・痛くないと言えば、嘘になります」
 イリーナは、3つ離れた席から、女の顔を見ずに答えた。
 女も既に、正面を向いている。
「その痛みは、快楽かしら」
「・・・まさか」
「気付いてないのね」
 微かに笑う気配に、イリーナは眉を顰める。
 まるで『子供だ』と言われているような気がした。
「・・・私は別に、マゾじゃありませんから」
「そうね、そうだとしても・・・」
 女の美しい手がカクテルグラスを取る。
 形の良い口唇にそれが触れる瞬間、再び女は笑った。
「あの男といると、誰もがマゾヒズムになる」
 そう、思わない?
「・・・・・・」
 イリーナは、横を向いた。
 女の横顔を食い入るように見つめて、言葉の意味を探る。
「あなたはもう、麻痺してるのよ」
「・・・麻痺・・・」
「少しづつ毒を盛られて、その痛みにも感じなくなってる」
 レノという男は、そういう人間だと思わない?
 触れるだけで痛いはずなのに、いつか、それが薬になってゆくのよ。





 女の言葉は、事実だった。
 なぜそれを語れるのか、イリーナには解らなかったが。
 だが、それを問うことはできなかった。





「遅くなったかな、と」
 店に現れたレノの姿に、イリーナははっと顔を上げる。
 遅刻をしてきたことを責めるはずだったが、それすらも忘れてしまった。
 カウンターの端から、息だけで笑う音がする。
「劇毒のお出ましね」
「は?」
「関わるものを、全て侵してゆくのはやめたらどう?」
 意味が解らない、というように、レノは肩を竦めた。
 イリーナは、女を見ると小さく笑う。
「侵されたら、侵せばいいだけですよ」
「・・・わかってるじゃない」
 毒を以って、毒を制す。
 それができる相手なら、苦労はしないけれど。





 その毒が薬になり、そして次に麻薬になったとき。
 私はあなたから離れられなくなるかしら。
 あなたがいなければ、生きてゆけなくなるかしら。





 いいえ。





 きっともう、手遅れ。





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 ホメオパチー。
 毒を以って、毒を制すこと。



2005.02.25





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