B C P

 





紅い花






「あ、いい女」
 そんなことを彼が言うのは、常のことである。
 イリーナと一緒に歩いているにも関わらず、擦れ違う綺麗な女性たちを 見ては、そんなことを言う。
 もう慣れましたという顔で、イリーナも無視をする。
 だが、彼女がそうするほど、レノは執拗にイリーナの言葉を求める。
「なぁ、いい女だったよな、と」
「・・・そうですか?ちょっと、肌の露出しすぎじゃありませんでした?」
「胸があったから僻んでんのかな、と」
「なっ・・・!」
 彼女はぐぐっと口を噤む。
 そこで言い返せば、レノの思う壺である。彼は、イリーナがムキになって反論するのを 一種の娯楽のようにしているのだ。
「・・・まあ、私はそのぐらいじゃ僻んだりしませんから」
 そう言った彼女の正面から、また1人の美女が歩いてくる。
 イリーナはわざと自分からレノに話を振る。
「ほら、あの人とかすごく綺麗じゃないですか?」
 そう言ったイリーナに、レノは何も答えない。だが、視線だけは真っ直ぐに、 その女性を見つめている。
 次第に近づく女性を目で追うレノの顔は、真顔である。
 先刻の悪戯な笑みはどこにもなく。
「・・・先輩」
 その女は、イリーナの横をすっと通り過ぎた。
 漆黒の髪は、腰につくほどの長さである。ウータイの民族衣装のような 服を着ており、それだけでも目立つのに、誰もが振り向くような美しい顔立ちをしている。
 女は、両手で大事そうに真紅の花を抱えていた。
 その花の名を、イリーナは知らない。
 彼女が過ぎ去った後、香の匂いが僅かに遅れて2人に届く。
「・・・先輩?どうしたんですか?」
 レノは微動だにせず、女の背中を見つめ続けている。
 イリーナの声が届いているのかも、解らない。
「まさか、本当に惚れちゃったんですか?」
 雑踏の中に女が消えると、レノはいつものように息だけで笑った。
「別に、好みじゃないぞ、と」
 そう言ったものの、明らかに普段の彼とは違う。
 それが、イリーナの心に影を与えた。





「昔の、恋人ですか」
 暗闇の中、イリーナはそう尋ねる。
 天井を見上げたまま、レノは静かに煙草を吸っている。
 イリーナは身体の向きを変え、レノのほうを向いた。
「昼間、擦れ違った人」
「・・・そんなこと考えてたのか、と」
「・・・はい」
「だから今日は、集中してなかったんだな、と」
 可笑しそうに笑ったレノは、枕元の灰皿に煙草を押し付ける。
 頭の下で腕を組み、彼は目を閉じた。
「1回、抱いただけだぞ、と」
「・・・でも、それにしては、なんだか・・・」
 いつもの嫉妬とは違う。
 ただ、あの女性には嫉妬のできぬ何かがあった。
 あの女性がレノを愛しているのだと言ったら、こちらが身を引いてしまいたくなるような、 そんな。
「朝起きたら、あの女は、あの花を残して消えてた」
「・・・・・・あの、紅い花を?」
「曼珠沙華だ。死人花ともいう」
「死人・・・」
 その響きに、イリーナの肩が震える。
 レノは腕を伸ばし、彼女の身体を抱き寄せる。
「・・・それだけだ」
「え?・・・それから、何もないんですか?」
「それから・・・、探してはいたけどな、と」
 1度寝ただけの女を捜すなど、レノは滅多にすることはない。
 彼が求めていたのは、その花を残した意味だった。
「ああいうことされると・・・、切ないからな、と」
「切ないって・・・、先輩でも、そんなことあるんですか?」
 ふ、と笑ったぎり、レノは何も言わない。
 イリーナは彼の胸に頬を寄せた。
「じゃあ、私が去るとき花を残したら・・・、追ってきてくれますか?」
 涙が出そうになるほど、真っ赤な花を残したら。
 そうしたら、その意味を問いに、あなたは。
「・・・めんどくせぇ」
「えっ!?」
 顔を上げ、イリーナは眉を寄せる。
 レノは新しい煙草を咥えながら笑っていた。
「捜すのとかめんどくせぇから、どこにも行くなよ、と」





-----------------------------------------


 リクエストをくださった桐瀬さまへ。

 本当は全然違う話を書くつもりでした。書き始めて、気付いたらこんなに 違う話に・・・!話というのは、生き物ですね。
 私にとってプロットなんて無意味です、ほんと・・・。



2005.01.04





inserted by FC2 system