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他人の目




 自分の部屋に向かうエレベーターの中で、ルードは小さく息を吐き出した。きっちりと締めた ネクタイを緩めて、腕時計に視線を落とす。午後8時。遅くなってしまったが、このぐらい仕事が 長引くことはざらにあった。月末だ。データの整理も溜まっている。明日にはこんな時間に 帰宅できないかもしれないと、ルードは考えた。
 ドアが開き、ルードが廊下に出ると、携帯が鳴った。レノの着信音ではない。職場の誰かだ。 開いてみると、イリーナである。
 珍しかった。
「・・・ルードだ」
『あっ、こんばんは。夜分にすいません』
「どうした。仕事か」
『いえ、私的な用事なんですけど・・・、今お時間よろしいですか?』
「構わない」
 言いながら、ルードはポケットから部屋の鍵を取り出し、開ける。ドアが締まる音が、 イリーナにも聴こえたらしい。
『もしかして、まだ家に着いてらっしゃらなかったんですか?』
「いや、今着いた。気にするな」
 黒い革張りのソファにビジネスケースを投げると、彼はキッチンに向かった。こんな 夜には、家でのんびりと酒を飲むのがいい。
「それで、なんだ?」
 左手に携帯、右手でスコッチの瓶を探しながら、ルードは尋ねた。
『突然なんですけど、今度の日曜日、お時間ありますか?』
「日曜・・・」
 冷蔵庫に貼り付けられた勤務票を覗き込む。
「午前は仕事があるから、午後なら」
『あの、お疲れでなかったら、付き合ってほしいんですけど・・・』
「・・・何に」
『え、えーと・・・』
 受話器の向こうで、イリーナが口ごもるのが解った。彼女のことだ。顔をふせて、いつもの ように手元にある何かをいじっているに違いない。職場での彼女を想像して、 ルードはそう考えた。
『もうすぐクリスマスだから、レノ先輩のプレゼント買おうと思ってるんですけど・・・、 何あげようか、迷ってて』
「俺に、見立ててほしいのか」
『そ、そこまでじゃないんです!こういうのが嫌いとか、それがわかればいいんですけど・・・』
「・・・何をあげても、構わないだろう。まあ・・・、喜んでも 顔に出すような奴じゃないが」
 スコッチをグラスに僅かに注ぎ、ルードはリビングに戻る。
 革張りのソファは、冷気で冷たい。暖房のスイッチを入れた。
『で、でも、お願いしたいんです!』
「・・・わかった。付き合おう」
『ありがとうございます!』
 後輩の嬉しそうな顔が、目に浮かぶ。
「何時に、どこで」
『先輩の午前中の仕事先はどこですか?』
「G点の78だ」
『じゃあ、H点の3とかどうですか?近いと思うんですけど』
 待ち合わせに、すぐに地点名が出てくるようになったことに、ルードは感心する。以前は 無用心にも一覧を持ち歩いていたのだから、大した進歩だ。
「わかった。終わるのは15時過ぎだが・・・」
『構いません。お仕事、頑張ってくださいね!』
 明るい声の後輩との電話を終えて、ルードはふと考える。
 後輩といえども、私生活で女と2人。そんなことは、どれだけなかっただろうか。最後の 記憶を辿ろうとしたが、酒がその思考を邪魔した。





 イリーナは、仕立ての良さそうなトレンチコートを着て立っていた。
 目上の人間を待つときは、キョロキョロせずに、まっすぐ一点だけを見て立っていること。 座っていてはならない。携帯などを開いてもいけない。時計を気にしてもならない。それらのことを頭に 入れた姿勢で、彼女は噴水の前に立っていた。
 ルードを見つけたイリーナは小走りに寄ってくると、軽く頭を下げる。
「お疲れ様でした!」
「・・・ああ」
「昼食、とりましたか?」
「軽く済ませた。イリーナは」
「食べてきました」
「で・・・、これから、俺はどうすればいい?」
 軽く目を上げ、イリーナは「うーん」と言う。
「とりあえず、どこかのお店、見ましょうか!」
 まるで2人のものを選ぶときのように、イリーナは嬉しそうだ。
 コートを翻して大通りに向かう彼女の後姿を、ルードはじっと見つめる。普段は見ることのない 白い脚が、スカートの裾から出ている。ルードはふと、『この女はレノの恋人なのだ』ということを、 僅かに感じた。



 色々な店を梯子して、やっと決まったプレゼントは、プラチナのピアスだった。思い出せば 思い出すほど、レノというのは好き嫌いが多い人間だと、ルードは改めて認識した。 シガレットケースやライタケースなどを買っても、使うとは思えない。ゴーグルは決まった ものでなければつけないし、マフラーなどの防寒具をつける性格でもない。財布も 買い換える気はないし言っていた。
 デパートの1階を2人で歩きながら、イリーナはふと脚を止める。
「先輩は、香水とかつけないんですか?」
「・・・仕事柄、匂いは残せない」
「それは知ってますけど、オフとか・・・」
 言いながら、イリーナは近くにあった香水の瓶に手を伸ばす。有名なブランドのものだったが、 派手というよりはシックなイメージが、ルードにはあった。
 サンプルの紙をいくつか手に取り、イリーナは嗅ぎ比べた。
「あ、これとか」
 定規のような紙のひとつを、ルードの眼前で振る。
 悪くない匂いだった。
「ね、いいですよね」
「・・・そうだな」
「他につけてる人知らないし。あ、先輩みたいなイメージの人の香水かも。だって、そう考えると、 この匂いが先輩に似合うのも納得いくし。なにより、 ルード先輩みたいな人ってあんまりいませんから!あっ、今の誉め言葉ですからね?」
 ルードが黙っていても、イリーナは喋る。
 それが、彼には不快ではなかった。
 今まで、ルードの無言を快く思う人間はあまりいなかったように思う。威圧的、態度が悪い、 そんなとられ方ばかりをした。会話が止まると、相手は気まずそうに、沈黙を守る。
 この後輩は、そんな物怖じをしない性格だった。
「先輩、ちょっと待っててください」
 ルードは、そのスペースから離れ、周囲を見渡す。
 自分とイリーナはどのように見えるのだろうか。少なくとも、恋人同士には見えないだろう。 兄弟でもない。さしずめ、自分はボディーガードだろうか?
 そんなことを考える自分が、可笑しかった。
「お待たせしました!これ、どうぞ!」
 今買ったのだろう紙袋を、イリーナが差し出す。
 ルードは、すぐには受け取らなかった。
「今の香水です。今日のお礼に、使ってください」
「・・・高いものだろう」
「いいですよ、そんなこと!」
「誰か他の」
「あ、それダメです!」
 ルードの言いかけた言葉を、イリーナは遮る。
「他に、この香水が似合う人なんて、いないんですからね!」
 悪戯っぽく笑い、ルードの胸に紙袋を押し付ける。
 ルードは仕方なく、それを受け取った。
「・・・ありがとう」
「大切な人と会うときに、使ってくださいね!」
 そう言って、イリーナは笑う。
 大切な人。
 その言葉に、ルードもまた、微かに笑った。



 店の外は寒く、吐く息は白い。数日もすれば、この汚れた街にもスモッグ混じりの 雪が降るかもしれない。
 2人は肩を並べて、その街並みを歩いた。
 夜7時を過ぎた街は、恋人たちの数も増えている。
 イリーナは、レノへのプレゼントが入った小さな紙袋を持った手をポケットに入れていた。頬が、 寒さのせいで微かに赤い。
「なんだか、不思議ですね」
 ルードはイリーナを見た。
「私たち、こうしてるとどう見えるんだろう」
 独り言のような呟きだった。
「先輩と後輩には見えないですよね、きっと」
「・・・そうだろうな」
「恋人とかに、見えるのかもしれないですね」
 可笑しそうに、イリーナが言う。
 予期してはいない答えに、ルードは押し黙った。
「あっ、・・・すいません、変なこと言って」
 口元に手を当てて、イリーナは目だけでルードを見上げる。
 男は、微かに、笑っていた。
「・・・構わないさ」



 2人の手に持っている紙袋が、風を受けて揺れていた。
 人々はそれをどう見るだろうか。
 互いにプレゼントを買いあった恋人同士に見えるだろうか。
 ・・・それも面白いと、ルードは感じていた。



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 武者修行リクエストをしてくださった、桃華さまへ。

 なんだかルド→イリみたいな話ですね(笑)
 ほのぼのとしたルド+イリのお話、すごく楽しかったです。
 クリスマスも近いということで、そんな感じで。



2004.12.12





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