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漂白剤






 蛍光灯の下で、イリーナは日記帳を閉じた。
 その瞬間、彼女は我に返る。
 レノ先輩にしてみたい質問、というものを書き出していた自分が、なんだか恥ずかしい。恥ずかしいのに、 どれも実際に訊きたいことばかりだった。
「・・・ほんと、くだらない」
 ペン立てにボールペンを戻し、イリーナは腕を伸ばした。
 窓の外を見ると、日記を書き始める前よりも明かりの数が減っていることに気付く。当たり前だ。 もう時計は午前2時を指していた。
 数少なくなった明かりを見つめて、イリーナは、彼がまだ起きているだろうか、と考える。
 きっと、起きているだろう。
 明かりのない部屋の中で、お酒を飲みながら、煙草を吸っている。
「・・・寝よう」
 誰に言うともなく、彼女は呟く。
 巨体なピザから、またひとつ明かりが消えた。



 レノは暗い部屋の中で、煙草を咥えていた。
 苛々していた。
 浴室の洗面器にお湯を流しながら、彼は白いワイシャツを洗っている。煙草の灰がその 中に落ちたが、溢れる湯と共に排水溝に流されてゆく。
 裸足の指が、冷たい。
 ワイシャツを広げ、胸元を見る。
 薄桃色の口唇の跡は、まだ落ちない。
「・・・あの女、マジで腹立つぞ、と」
 煙草を浴槽の中に投げ入れる。
 後で後悔することはわかっていたが、そんなことは、今の彼にはどうでもよかった。
 まえから気になってたのよ。
 そう言いながら、淫らな目でしな垂れかかってくる女。それを拒むようになったのは、 監視の厳しい後輩の守りをするようになってから。
「・・・押しのけりゃよかったのか?」
 酔った女は、酒場の人目も憚らず、レノに抱きついた。
 その結果が、今の有様。
 さらに力を入れて、彼はワイシャツを洗った。



 ベッドの中で、イリーナは携帯を開く。
 午前2時20分。
 ディスプレイの明かりが眩しかった。



 レノは溜息をついて、携帯を取り出した。
 リダイヤルから、後輩の番号を探しだす。
 午前2時23分。



「どうしたんですか」
『起きてたか、と』
「はい、まあ」
『訊きたいことがあんだけど』
「なんですか」
『口紅って、どうやったら落ちんのかな、と』
 イリーナは溜息をついて、身体を起こした。
「・・・どうせ、ワイシャツの胸元とかなんでしょう」
『ビンゴ』
「漂白しちゃえばいいじゃないですか」
『んなもん持ってねぇぞ、と』
「・・・なら、今度行ったときに、私がします」
『ありがたいな、と』
 なんで私がそんな面倒まで見なくてはならないのか。
 そう言いたかったが、そこは飲み込んでおく。
 イリーナは窓の外を見た。
「私も先輩に訊きたいことがあったんです」
『なに?』
「いま、部屋の明かりつけてますか?」
『いや。真っ暗』
「・・・ビンゴ」
『は?』
「なんでもないです」
 質問したいことリストに書くまでもなかった。
 イリーナは、再び身体をベッドに沈めた。
『じゃ、またな、と』
「はい。おやすみなさい」
 電話を切り、枕元におく。
 イリーナは目を閉じて、漂白剤、どこにしまったかな、と考えた。



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 こういう夜は、いいな、とおもう。


2004.10.26





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