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愛は誰の手に






 彼は椅子に座ったまま、じっと床を見つめている。
 膝に肘を乗せ、組まれた指は微かにも動かない。
 哀しい色をした殺気に、イリーナは声すらかけられなかった。
「・・・じゃ、行ってきます、と」
 立ち上がった男は、ツォンにそう告げると、オフィスの誰とも視線を合わせることなく 部屋を出てゆく。
 狩りをしにゆく男の目の色を、イリーナは知らない。
 知らなくてもいいと、レノはいつか、そう言った。



 今宵失われる命の重みを背負う、覚悟。
 それを決めているのか。
 それともただ、優しさを失おうとしているのか。
 誰も知らない。





「・・・つかれた」
 本当に疲れたように、彼は言う。
 天井に腕を伸ばし、骨ばった手の甲を見つめる眼が、ふとベッドの脇に立っている イリーナを見止めた。
 意外にも微笑まれたイリーナは、小さく首を傾げる。
「おまえ、心から他人に無関心になれるか?」
 男の口調は静かなのに、イリーナの心臓はそれに反して早鐘を打っていた。突然の衝撃に、戸惑う。
「わからない、です」
「・・・タークスやってくなら、そうしてたほうがいいぞ、と」
 いつ独りにってもいい覚悟。
「レノ先輩は、できるんですか」
「いつも、考える」
「仕事の前に、ですか」
「そうだぞ、と」
 この仕事が終わったら、俺は独りになるかもしれない。
 全てに見放されることになるかもしれない。
 哀しむ前に全てを遮断する。
「でも、俺はそれでも生きる覚悟があるぞ、と」
「・・・・・・」
「まあ、殺される覚悟もあるけどな、と」
 彼は再び視線を天井に戻した。
 イリーナは身体が震えた。
「ひどいですね」
「・・・なにが」
「だって、他人に無関心でいるっていうのは・・・」
 呼吸が続かず、彼女は少しだけ息を吸う。
「無関心でいるっていうのは・・・、誰とも関わらないで・・・、たった独りで生きていくことと 同じじゃないですか・・・」
「それの、なにがひどいんだ、と」
「・・・私が、いるのに」
 私がいるのに。それすらも、切り捨てようとするなんて。
 そんなの、あまりにも哀しい。
 私が哀しいんじゃなくて、先輩が、哀しい。
「・・・・・・」
 イリーナの言葉が、静かな部屋に小さく響く。
 遠くで、電車の音がした。
「・・・、だって、お前、・・・考えてみろよ。他人に無関心なら、傷つかなくて済むんだぞ、と」
「でも、・・・私は、先輩を独りにさせないもの」
 自分が想像以上に大胆なことを言ったという事実に驚いて、イリーナは俯いた。それでも、 言わなければいけない気がした。
「先輩は独りでも生きていけるかもしれない。でも、私はそうじゃない。そんな哀しい人生なら、 覚悟とか決めないで死んでいったほうがいい」
「・・・・・・バカじゃねぇの」
 レノは身体を起こして、窓の外を見た。
「だからお前は新人なんだぞ、と」
「・・・心まで売る気はないって、先輩は言うじゃないですか」
「・・・・・・」
 言葉を失ったレノは、僅かにシーツを掴む。
 その背中は薄寒く、イリーナは思わず、触れた。





「無関心になる努力とか、しないでください」
 そう言うイリーナに、彼は何も言わない。
 狩りを済ませ、悲しみだけを残した瞳は、窓の外を見ているだけだ。
 それでもイリーナは続けた。
「お願いですから」
 あんまりにも、哀しいですから。





 だから。








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 傷つくまえに遮断することを身体に滲み込ませるというのは、自分を愛して くれる人間すらも遮断してしまうという話。


2004.10.25





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