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Trist






「レノは」
「医務室で寝ています」
 ルードは額の傷にハンカチを当てたまま答える。
 ツォンは無言で窓の外に視線を逸らした。
「・・・雨の日の任務は、やりにくかったか?」
「いえ。ただ・・・、あいつは・・・」
 言葉を濁したルードはハンカチを額から離し、その表面を見つめる。まだ乾かない血が、そこには 付着していた。
「あいつは、猫みたいな奴ですから・・・」
「だから?」
「・・・雨の日は、おかしいんです」
 ツォンは、口の端だけで笑ったぎり、何も言わない。
 金髪の後輩は、その会話を座ったまま聴いている。そんな彼女の横を通り過ぎた男が、ゴミ箱に 血のついたハンカチを投げ捨てる。
 いやに静かな、雨の日だった。



 医務室のベッドの上で、レノは煙草を吸っていた。
 イリーナは社員食堂から貰ってきた食事の載ったトレイを差し出して、笑う。
「先輩が怪我なんて、珍しいですね」
「だるかったからな・・・と」
 レノは彼女に目もくれず、ただ窓の外を見ている。
「お腹すいてませんか?」
「野菜」
「え?」
「野菜だけ食う」
 イリーナはサラダの入った容器とフォークを彼の前に置く。
「食べさせてくんないのかな、と」
「え・・・、はい・・・」
 彼女は栄養があるのかないのか解らない、気の抜けたレタスを数枚フォークに刺してレノに 差し出す。
 レノは噴き出した。
「マジでやると思わなかったぞ、と」
「なっ・・・、先輩が食べさせろって言ったから・・・」
「冗談に決まってんだろ。両手無事だし」
「じゃあ、自分で食べてください」
 イリーナはフォークをサラダボウルに戻す。
 レノの顔から笑みが消える。彼は煙草の灰をそのサラダボウルの中に落とし、オニオンスライスの 上で火をもみ消した。
 イリーナは顔を上げる。
 既に男は笑っていた。
「・・・怪我人に優しくしてくれんのかな、と」
「普通、そうですよ」
「じゃあ、ここでエッチさせてくれる?お前が上でさ」
「そ、そんなの嫌です!」
「なんでだよ」
「ひ、人が来たら・・・」
「怪我人に優しくしてたんですって言えよ」
 ハハッと乾いた声でレノは笑う。
 イリーナは俯いた。
「じゃあちょっと譲歩して、お前が好きなようにしてやるぞ、と」
 新しい煙草に火をつけ、レノはそれをイリーナの鼻先に持ってくる。
 イリーナはその先端と、レノの顔を見比べる。
「痛いのと恥ずかしいの、どっちがいいかな、と」
 彼女は眼を逸らすことなく彼を見つめた。
「どっちもです」
 レノは煙草を動かさずに、彼女を見る。その表情から、次第に笑みが消えてゆく。真顔に戻った 彼はまだ長い煙草を再びサラダボウルに投げ入れる。ドレッシングの中でジュッという音がした。
 長い沈黙の後、レノはイリーナの腕を掴んで抱き寄せた。
 イリーナは身じろぎもせず、そのワイシャツの中で目を閉じる。
 どれだけ長い間そうしていただろうか。 イリーナは彼の背中に回した手の中で、赤い尻尾髪を弄びながら言う。
「今日は、意地悪をするんじゃなかったんですか?」
 レノは何も答えない。
「先輩、本当に猫みたいですね。気まぐれで、自分勝手で」



 イリーナは知っている。
 残酷で我儘な人ほど、哀しいことを。
 


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 Trist 仏語で「かなしい」。



2004.10.01





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