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どこまでも続く祈りと痛み






 人を殺した日。レノはいつものレノという人間ではなくなる気がする。それは、 イリーナだけが感じるものなのか、誰もが感じるものなのか、解らない。
 解らないまま、イリーナは彼を見つめる。



 気が立っている時もあれば、妙なほどハイテンションで1日を過ごす日もある。 そうかと思えば、今日のように1日中寝込んでいる日もある。レノは朝からずっと眠っていた。
 まるで職場でするかのように、イリーナは事務的にレノの灰皿を洗う。ステンレスの シンクは、まるで1度も使われたことがないかのように綺麗で、皿や茶碗といったものも 見当たらない。
 料理をしようにも、それがないのでは話にならない。イリーナが備え付けの棚をあちこち 覗くと、一箇所にごちゃっと調理器具や食器がつまっていた。ほこりは被っていないものの、 いつから放置されているのかわからない。
「とりあえず、全部洗って使ったほうがいいわね・・・」
 小さくため息をついて、棚を閉じる。
 レノの枕元に灰皿を置くと、脱ぎ捨てられた黒いTシャツを持ち上げた。いつもの レノの匂いがイリーナの鼻腔に届いた。煙草と香水の匂い。 イリーナの好きな指が、規則正しく上下している胸の上に乗っている。
 居眠りしている顔はいつも見てきたけれど、こうしてちゃんとした寝顔を見るのは、 イリーナには初めてのことだった。そして、レノの部屋に上がったのも。それが、 不思議だった。
 恋人なのか、わからない。
 そんな曖昧な2人の関係を、そのことが表している気がした。
 洗濯機にTシャツやワイシャツを放り込んで、スイッチを入れる。
 あまり音を立てないように食器を取り出して、イリーナはそれを丁寧に洗う。使われて いたのか解らないが、それでも好きな人のものに触れるというのは、イリーナに とっては胸が高鳴ることだった。



『熱出たから、飯作りに来てくれないかな、と』
 いつものように、レノはイリーナに電話をしてきた。
 嘘かもしれない。いつもの我儘かも。
 そう思ってはいたけれど、断る理由もなかった。
 ドアの鍵は開いていた。玄関の入り口に大きなゴミ袋があり、その中に血を 吸った制服があるのをイリーナは見つけた。
(ああ・・・そうか・・・)
 それだけで、全てを理解できた。
 そんな仕事を、自分たちはしているのだと。



 食器を洗い、全て拭き終わった頃、洗濯機が止まって合図の音を鳴らす。イリーナは 洗いあがった洗濯物を籠に入れてベランダへ出た。
 天気が良い。
「夕方には、乾くかな・・・」
 独り言を言って、僅かに首を動かすと、ベッドの上でレノが身体を起こしているのが 視界に入った。
「先輩、熱、大丈夫ですか?」
「ああ・・・来てたのか・・・」
「はい。勝手に食器とか洗っちゃったんですけど」
「構わないぞ、と」
 目をこすって、レノは煙草に火を点ける。
 嗅ぎなれたその匂いに、イリーナは何故か安堵する。
「・・・なんか、不思議だな、と」
「なにがですか?」
 イリーナはハンガーにシャツをかけながら振り向く。
「今まで色んな女がここに泊まったけど、そういうことした女なんか、 誰もいなかったからな・・・」
 眉を寄せて、イリーナはまた空へと首を向ける。
「・・・そうですか」
「こういうのもいいもんだ、ってこと」
 息だけで笑う音が、耳に届いた。
 いつものレノなら、「妬いてるのかな?」とか、そんな言葉でイリーナを 困らせるのに、そんな感じが微塵もない。それが不思議で、そして、物悲しく、 イリーナは俯いた。
 ベランダの戸を閉めて、イリーナはベッドの淵に腰を下ろす。
「熱、計りました?」
「いや、朝だけ」
 イリーナは細い指を、そっとレノの額に当てた。
「まだ熱っぽいですね。お昼ごはん作ろうと思うんですけど、食べますか?」
「・・・んー、そのために呼んだわけだしね」
 ふ、と笑ってレノはイリーナの腕を掴んで抱き寄せた。
「せ、せんぱ・・・」
「イリーナ、体温低いな・・・ひんやりしてるぞ、と」
「先輩、熱があるからですよ」
 レノはじっとイリーナの身体を抱き締める。
 その背中に腕を回して、イリーナは呟いた。
「・・・なんだか、変ですよね」
「なにが?」
「私、レノ先輩がどんな部屋に住んでるのか、どんな生活してるのかとか、 全然知らなかったんです。それが・・・恋人未満、って感じがした」
 恋人だなんて宣言は何一つない。
 だましだましの関係。
 気楽で、不安で、宙ぶらりんな場所。
「だから・・・こうしてても、まだ、実感湧かないんです・・・」
 こうして、この人の匂いがする部屋で、この人の腕の中にいても。
「ふぅん・・・恋人未満?」
「・・・はい」
「てか、コイビト、だろ」
 初めて耳にする単語のように、レノの言った言葉がイリーナの頭の中で 何度も反芻した。
 レノの胸から顔を離し、緑の眼を覗き込む。
「・・・そうなんですか?」
「オレはそうだと思ってンだけど?」
 にやりと笑う口唇が、何かを言おうとしたイリーナの口唇を塞いだ。何度目なのか 解らないキス。
 それは、いつもより静かで、優しかった。
 そして熱っぽい。
 口唇が離れてイリーナが目を上げると、そこにはキツそうな眼が自分を 映して、少しだけ、笑っていた。
 この人は、たくさんの人を殺してるんだわ。
 そう考えてみても、なぜか怖いとは思わなかった。
 殺すだけではなくて、非道なことをたくさんたくさん、してきているだろう。イリーナが 知らない頃からずっと。
 でも、彼女はこの男を許せる気がした。
 その理由を、イリーナは知っている。
「先輩」
「ん?」
「私、先輩のこと愛してるのかもしれない」
 耳元で、レノが笑うのだけ解った。
「俺も愛してるのかもな、と」
「本当ですか?」
 イリーナは、つい嬉しそうな声を出してしまった。
 だがレノは悪戯っぽく笑っている。
「かもな、って言っただけだぞ、と」
「・・・意地悪」
 Tシャツに顔を埋めて、イリーナは眼を閉じた。



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 花さんへ。
 30003打キリ小説。甘いレノイリ、ということで。
 こ、こんなんでいいんでしょうか・・・!?

 甘いレノイリ、というのは機会があったら是非書いてみたいものだったのですけれど、 なんだか微妙な・・・!す、すいません、花さん!
 でも優しいレノとか、ほのぼのしたレノイリもまたいいもんだな、と思いました。 レノは「好き」とかハッキリ言わなそうだけど、こういうところでイリーナに ズバッと「愛」を証明しそうな気がします。
 なんとなく、遊ぶだけの女はわんさかいそうだけど、掃除洗濯料理まで手放しで やってもらえる相手はイリーナかルードぐらいしかいないと思うのですよね。 してもらえる、というか、「させない」(笑)
 どうでもいい女が洗濯物に触るとムッとしそうな。

 粗末なものですが、お気に召したらお受け取りください。

 ちなみに、タイトルが一人歩きしてます(笑)
 私は書く前にタイトルだけつけるのですが、内容と全然合わないことがしょっちゅうなので、 そういう場合は書き終わってタイトルを変えます。今回もご多分に漏れず合って ないんですけれど、これはこれでいいかな、と思ってそのままにしてます。
 すいません、適当で(笑)


2004.04.28





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