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「野良かな、と」
 私の目の前で、黒猫が先輩の足に巻きつく。
 やせ細っていて、目つきが悪くて、薄汚い野良猫。でも、喉を鳴らして 懐いている。
「イリーナ、何か食べ物持ってる?」
「いえ、何も・・・」
 先輩は、黒猫を抱える。
 人には媚びなさそうな目つきの悪い猫。
 食べ物を欲しがっているわけでもないらしい。
「お前は飼えないぞ、と」
 緑の眼が細められる。
「・・・あんまり優しくすると、懐いて着いてきちゃいますよ」
 そんなことを言ってしまう。
 私でもきっと、優しくしてしまうだろうに。
「お前、猫嫌い?」
「いえ、好きですけど・・・」
「飼えば?」
「・・・でも・・・」
 メス猫を飼うなんて、嫌だ。
 少しだけその黒猫に顔を寄せる。
 眼が合った瞬間、睨まれた気がした。
「・・・気が合わなさそう」
「そうか?」
 先輩は黒猫の喉を撫でる。さっきよりも嬉しそうに、その猫は喉を鳴らして 先輩の指に顔を寄せている。
(なに、この猫)
 私が好きな指なのに。
「あ、こいつ俺と同じ眼の色だぞ、と」
「え・・・」
「ほら、緑の眼だ」
「・・・・・・」
 嬉しそうな顔の、黒猫。
 どうして先輩にだけ擦り寄るの?
 見せ付けるように、愛撫をねだる。
「・・・猫になりたい」
 思わず、そんなことを口走ってしまう。
 猫はいいわね。そうやって、駆け引きもなにもなく、ただ簡単に 甘えることができるんだから。
「どうしたのかな?と」
 猫越しに先輩が顔を覗き込んでくる。
 だが、私はその黒猫と目を合わせたくないが為に、露骨に顔を背けてしまった。
 言えない。私はあなたと違うから、簡単に愛を強請ることなんかできないの。 あなたを女と見てしまう私は、愚か?
 言われた気がした。
 猫にも劣る意気地なしって。
「イリーナ?」
「あ、はい?」
「抱けば?」
 レノは猫の収まった腕を差し出す。
 私はそろりと腕を伸ばすが、肝心の猫のほうは先輩の腕に爪を立ててしがみついている。
 引き剥がしてやろうかとすら思う。
 そうやって、がむしゃらにしがみつけたら、いいのに。
「へぇ、俺も変わった女に好かれたもんだぞ、と」
「・・・その子、趣味悪いんですよ」
「見る目がある、だろ」
 ニヤッと先輩が笑う。
 こんなことを言うのも、本当は嫌なのに。
 素直じゃないのね、と猫が笑う気がした。
 本当は、猫でもなんでも、先輩が「メス」と呼ばれるものに触れることすら嫌だった。 だから、猫を抱くのを見るのも、嫌。
 傲慢な私。
 でも、いつまでこのメス猫をのさばらせて置くの?
 だから、言わないといけない。

 その指に触れないで。舐めないで。
 頬を寄せないで。抱かれないで。
 嬉しそうにしないで。同じ眼の色なんか、しないで。
 必死にしがみついたり、しないで。



「・・・先輩、その子・・・離してください」
「あ?」
 私は、つい俯いてしまう。
「嫌、なんです・・・」
 言葉がうまく繋がらない。
 こういうことを言うのは、やっぱり苦手だ。
「なんか、悔しいんです。私がしたいこと、全部その猫がしてもらってる。 ・・・他の女に先輩がそういうことをしてるの、見たくない」
「・・・へえ?」
 地面に、黒猫が降りてくるのが見える。
 そして、あの指。
「珍しく素直なイリーナちゃんだぞ、と」
 顎に、頬に、指が触れる。
 長くて、少しだけ傷のある指。
「この猫みたいに、甘えたいのかな?・・・と」
 嫌なひと。でも、それを望んだのも自分。
 私は、黙って先輩のスーツに指を食い込ませる。あの猫がしたように、爪を立てて、 強く、強く。
 そして、頬を寄せる。
 それだけのこと。
「俺があの猫を飼えないのは・・・」
 私の頭に、手が触れる。
「あいつが、甘え上手だからだぞ、と」
「え・・・?」
 私は少しだけ眼を上げる。
「少しぐらい甘え下手なほうが、飼うには楽しい」
「それって、誰のことですか?」
「金の毛並みをした、なかなか手懐けられないヤツだぞ、と」
 どうせ、私は甘え下手。
 でも、素直に甘えてやる気も、サラサラない。
 今はこうして撫でられてるだけで気持ちがいいから、何も文句は言わないで おいてあげるけど。
「他のメス猫に手を出したら、噛み付きますよ」
 ふっと笑う声。
「それは怖いな、と」
 顔を上げて、少しだけ背伸びをして、赤毛の猫に口付ける。
 それは、この足元にいる黒猫にはできないこと。
 悔しそうに見てるがいいわ。
 あなたがしたように、私はこの人にしがみつく。
 無様で愚かな姿でも、誰にも触れさせないわ。



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 猫にすらライバル心。
 でも、私はこの気持ちがわかるなぁと、書いていて思いました。



2004.03.22





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