殺し屋の終わりには雨を

















 レノは、どしゃぶりの雨の中、空を仰ぐ。
 真夏の、ぬるい雨だ。
 クリーニングから戻ってきたばかりの制服は、もう泥だらけになってしまっている。
 スラムの路地裏は、きちんと舗装がされていない。そのために、凹凸が多く、自然と 水たまりも数多く出来ている。それを避けるほうが困難なほどに、だ。
 レノは、一番大きな水たまりの中心に立っていた。
「レノ先輩、あまり水たまりの中ばかり歩かないでくださいよ」
「なんで」
「車が汚れます」
「お前が洗うわけじゃないだろ、と」
「だから、洗うひとに嫌な顔されちゃうんですよ」
 後輩の説教に耳を貸さずに、レノはビール箱に座っているルードに 首をめぐらせる。
「こんなに濡れてるんだから、大して変わらないよなぁ、と」
 無口な男は、返事をしない。
 レノは肩を竦め、じゃぶじゃぶと足を動かす。
 革靴も、靴下も、全てが水浸しだ。
 イリーナは、何を言っても無駄だと諦めたのか、息をついて前髪をかき上げる。生暖かな 雨とは言っても、8月の今はそれも心地よいほどだ。
 しばらく離れた場所では、ツォンが黒い傘をさし、壁に背を当てて立っている。
「ツォンさん、傘なんて無粋ですよ、と」
 レノはポケットに両手を入れ、身体を屈め、 優等生をからかう小学生のように笑った。
 しかし、すかさず後輩が割って入る。
「レノ先輩!普通は傘をさすんですよ!」
 男は「おまえ、うるさい学級委員みたいだな、と」とぼやいた。





 レノは灰色の空を見上げたまま、鼻唄を歌い始める。
 殺し屋を主人公にした映画の、エンディングで流れる音楽だ。
 晴れた空から降る雨。
 光る粒が主人公の男を照らし、その身体についた血を洗い流してゆくシーンだ。主人公は、 その空を見上げたまま、赤く染まる水たまりに立ち尽くす。
「あのエンディングって、こんな感じだよな、と」
「あれって、最後は殺し屋をやめるんでしたっけ?」
「そうだな、と」
「しかし、男は最後に刺されて終わる。それが、そのシーンだ」
 ツォンの言葉に、3人が振り向く。
 黙っていたままのルードが「観たことがあるんですか」と問う。
 傘から手を差し出し、ツォンは空を見上げた。雨は随分と小降りになっている。 彼はぱちんと傘を閉じて、軽く水滴を払った。
 レノの、ずぶ濡れの足が、踊るように水たまりから出る。
 イリーナはジャケットを脱いで、勢いよくしぼった。
 ルードはサングラスをはずして、指で拭う。
 明るい日差しの中、雨はぱらぱらと4人に降り注ぐ。





「あの主人公・・・、なんでやめたんでしたっけ」
 レノが、湿気たタバコを箱ごと投げ捨てる。
「悪いことすんのが嫌になったんだろ、と」
 適当に答える男に、ツォンは閉じた傘を押し付ける。
「そうじゃない」
 レノは傘を受け取って「そうスか?」と眉を寄せた。
「彼は、息子を持つ男を殺していた。その息子に、仇を討たせるためだ」
 すっかり忘れていた、と言うレノに、うそつき、と口唇をとがらせるイリーナ。 ルードは「本当に観たのか?」と尋ねる。
 レノは黒い傘を開き、歩き出したツォンの後ろについた。
「仇を、討たせてやった、と」
 汚れた足で、それでも軽く、レノは歩く。
 傘をさして、美しい鼻唄の続きを歌う。
 足を洗えども、雨に打たれて血を洗おうとも、恨みという名の匂いは 強く身体に染み付き、はるか遠くからでも 狩人を引き寄せてしまう。
 歩き出した4人の足は、いつしか皆、泥にまみれていた。
 立ち止まり、追っ手に命をくれてやる気は、ない。
 その足を、洗うつもりも、ない。
「あ、虹ですよ」
 イリーナの言葉に、男たちは足を止めて顔を上げる。
 大きなアーチ。
 それに囲まれた神羅ビルの頭上には、光差す雲の波間。
 かすれた鼻唄が、亜麻色の空に溶けていった。





 その瞬間。
 彼らは漠然と、生き方ではなく、死に方を、想った。
 どれだけ無残な結末でも。孤独な末路でも。
 たとえば、そう――。
 この美しい音楽が似合うような、そんな終わり方ならば。












 4人も集まって、一体なんの任務だったのだろう・・・。
 と、ぼんやり書き始めたら、そのまま終わってしまいました。
 映画にモデルはないので、てきとうに想像してください。



 2007.08.31
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