おいてけぼり

















「なあ、俺たちは飛べるかな、と」
 腕を広げて、ばっ、て、空に向かって。
 言い、レノは子供のように、両手を水平に広げた。本当に、「ばっ」という音がしそうだ。
 いつもの冗談なのだろう。
 男は笑いながら、ルードの腕を掴んで持ち上げる。
「この腕がさ、風をつかめると思うか?」
 ルードは、この男に問われるたびに考える。
 彼が望む答えはなんなのか。どう言ってほしいのか。
「・・・飛べるはずない」
「へっ」
 息の詰まったような、乾いた笑い声。
 満足したのだろう。
 レノは、腰の高さのフェンスを掴み、ぐっと身を乗り出す。吹き上がる強い風が、男の鼻をかすめて、 空に上ってゆく。
「今、ツォンさんは、飛べって言われてるぞ、と」
「・・・・・・誰に」
「ハイデッカーだ。また無理なこと言われてるぞ、と」
 あのバカ、自分で飛べよ、と。
 ふわりと、レノはフェンスに飛び乗る。
 ルードは、思わず手を差し出しかけた。
「心配すんなよ、と」
「お前はあぶなっかしい」
「俺が飛ぶときは、ツォンさんに言われたときだぞ、と」
 風に煽られながらも、レノは両腕を広げて、フェンスの上を歩く。身軽な男だ。5cmの 幅など、苦にもしない。
「俺は、あのひとに、身を売ったんだからな、と」
 つま先でくるりと回り、レノは眼下の風景を見下ろす。
 好きに扱え、と、己の身を投げ出した。
 覚悟を決めたのではない。
 もっと、ずっと、深い場所で、許したのだ。
 おいてけぼりにされることを。





 レノは目を伏せ、祈るように、口の前で指を組む。
「・・・おいてけぼりは、平気だぞ、と」
 でも。
「こんな形は、ごめんだ」
 突風が、小さな呟きを撒き散らしゆく。
 レノは前髪をかき上げると、ルードの肩に手をかけて、地面に降りた。
 そして、にやりと笑う。
 おいてけぼりには、ふたつの種類がある。
 ひとつは、救いと、守りのために、取り残されること。
 もうひとつは、振り払われ、切り捨てられること。
 2人が望むのは、後者だった。
 駒の如く切り捨てられるのは、自分たちでなくてはならぬ。
 2人は何も言わぬまま踵を返し、エレベータに乗る。
「ああー・・・」
 箱の中で大きく息を伸ばし、レノは隣にいる男を肘でつつく。
「あんたも思うだろ?」
 生きてんなぁ、って。





 レノは嬉しそうに笑う。
 ルードは背筋を伸ばした。





 使役される命は、飛ぶ瞬間に、初めて燃える。











 ツォンさんのかわりに、捨て駒の道を選ぶふたりの話。



 2007.08.26
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