託すのだ

















 正式なタークスのメンバーになったときのことを思い出す。
 白い紙に、彼は血判で誓った。
 この職に就いた後に、命を落とすことがあっても、私は決して会社を訴えるようなことはしません、と、 そのような内容だった。細かいことは憶えていない。
 タークスになれるということが嬉しく、そんな「もの」いくらでもくれてやるとすら、 思えていたのだ。
 だが、レノは今になって知る。
 その血判の血が、今、身体から失われてゆく。
 胸に手を当て、レノはまだ自分が生きていることを確認する。
 冷たい空から、白いものが舞い落ちてくる。
(誰にも、何も、言えない)
 自分の命が失われることを、誰かに訴えることも、できない。
 会社のせいだなんて、叫べるはずもない。
 命を使役する。
 それは、己が判断による責任であった。
「レノ!」
 叫ぶような上司の声。
 しかし、顔を見るよりも早く、レノの瞼は闇を呼ぶ。





***




 仕方ねえよな、と。
 だって俺は、使い捨ての人間なんだから。





***




 ハイデッカーは、ことの重大さを認識していなかった。
 彼は書類という形式めたいものを嫌う。
 大規模な暴動が起こったという報告を受けても、ハイデッカーは一般兵を出すことすらも 面倒がっていた。兵を動かすとなると、上に許可を取り、さらには自らも指揮を せねばならないからだ。
 彼は言った。
『タークスをひとりやれ。それでいいだろう』
 ツォンは目を見開いた。
 10人や20人の暴動ではない。
 数百人の人間が武器を持ち、街を闊歩している。
 そんな中に、タークスひとりを投げ入れたところでは、何も変わらない。
『しかし、タークスひとりで、あれほどの人数は・・・』
 高い葉巻を咥えたまま、ハイデッカーは面倒くさそうに舌打ちをする。
『お前らの育成には幾らかかると思っているんだ。金かけてんだから、 そのぐらいの働きはしてもらわないと困る』
 言い、彼はさらに続ける。
『ほら、あの赤い髪の男、あいつはなかなか使えるようだからな』
『レノ、ですか』
『あれでいい。さっさとしろ』
 ツォンが進言するよりも早く、ハイデッカーは会議室を出てゆく。
 彼は、業務時間以外に仕事をする人間ではなかった。





 ツォンは頭を抱えた。
 実際レノ以外の人間は残っていないのである。
 ルードとイリーナは別件で外に出ているため、実際に前線に向かえるのはレノひとりという ことになってしまう。
「・・・ハイデッカーの呼び出し、暴動のことスか、と」
「既にかなり対処が遅れている」
「今から兵出す申請したら、どのぐらいかかるんですかね、と」
「それでは間に合わない。被害が増えるばかりだ」
「じゃあ指示は・・・」
 ツォンは微かに視線を逸らす。
「・・・お前を行かせろと言っている・・・」
「ひとりですか、と」
 ルードとイリーナは呼べないんですか、と。
 問われても、ツォンには何もすることができない。
 ハイデッカーは、ふたりの任務も最優先と指示していた。これ以上遅らせるな、ということは、 今朝からしつこく言われていたことである。
「私も、別の方面から向かうつもりだ」
「・・・・・・」
 珍しく、レノは任務に対して沈黙をした。
 どんなに危険な事態であっても、彼はいつも、「余裕ですよ」と言わんばかりの 笑みをたたえている。
「・・・最前線での戦闘になる。規模も大きく、危険だ」
 そう言ったのは、レノに断らせるためであった。
 明らかに命の危険に晒される場所に向かわせるのは、ツォン自身も不本意であったからだ。レノが 断ってくれさえすれば、ハイデッカーに再度申請することができる。
 そのつもりだった。
 のに。
「行きますよ、と」
 ロッドを腰にさし、彼は踏み潰していた踵を履き直す。
 その顔には、既に笑みが浮かんでいた。
「・・・な・・・、何を言っている!危険なんだぞ!」
「俺しかいないんでしょ、と」
「しかし・・・!あの暴徒と正面から向き合うんだぞ。奴らは重火器も所持している。 下手をすれば・・・!」
「ツォンさん」
 ドアの前で振り向き、レノは微かに首を傾げる。
「俺は、そういう人間ですよ、と」
 赤い髪がふわりとなびく。
 ツォンは足を踏み出し、細いを腕を掴もうとした。
 だが、それが叶うこともなく、レノは扉の向こうにするりと消えた。





 レノは、・・・安直な言葉で言えば、勇敢であった。
 タークスが現れたことに、暴徒たちは敵意をむき出しにした。
 彼らを狭い路地に誘い込み、彼はひたすら戦い続ける。
 自分に課せられた任務がどれほどバカげているものか知りながらも、彼は一歩も退くことなく、 いつまでも湧いて出る暴徒たちを倒し続けた。
 たった一発の銃弾に貫かれるまでは。





 じじ、と、無線が繋がる。
「ツォンさん・・・」
 掠れた声が、暴徒たちの喧騒と共にツォンの耳に届く。
 その声は、再び名を読んだ。
「・・・ツォンさん・・・」
 ツォンさん。





***




 任務開始から、37分が経過していた。
 




***




 冷たい夜が、終わりを告げようとしている。
 ミッドガルは一晩で白い街に塗り替えられていた。
 まるであれほどの騒ぎがあったとは思えぬほど、静かな夜明けだ。
 レノが眠るベッドの淵に座り、ツォンは朝日に目を細める。
 暴動は、一般兵どころか、ソルジャーまでを駆り出すほど大規模なものであった。
 ・・・最初から解っていたのだ。
 ここにいる男が、ひとりで片付けられるはずなどないと。
「・・・ツォンさん」
 細い声に、ツォンは素早く振り向く。
 意識を取り戻したレノもまた、眩しそうに目を眇めていた。
「・・・俺、生きてるんですね、と」
「・・・・・・無事で良かった」
 口の端を持ち上げ、レノは笑う。
「聞こえましたよ、ハイデッカーに怒鳴ってたの」
「・・・・・・」
「イリーナとルードまで、別件から引き剥がしたんですか、と」
「・・・仕方なかったんだ」
「ツォンさん、めちゃくちゃ怒ってましたね、と」
 病室にも関わらず、ツォンは煙草に火をつける。
 眉を寄せ、静かに、レノを見下ろす。
 ハイデッカーは、受話器の向こうから、こう怒鳴った。
『救急隊!?どうせ助からない奴は放っておけ!他のタークスをひとり向かわせろ!向こうの件はひとりでもいいだろう。 あっちも失敗されたら困るからな、どっちもしくじる訳には・・・』
 その後、ツォンは自分が何を怒鳴ったのか、よく憶えていない。
 とにかく、「さっさと兵を出せ」と言ったのは、確かである。
 レノは笑うのも辛いだろうに、くくっと喉を鳴らした。
「あんなこと言っちゃって、いいんですか、と」
 空き缶に灰を落とし、ツォンはレノの額の汗を拭く。
「・・・おまえが気にすることじゃない」
 熱を持った手が、そんなツォンの手のひらを握った。
 何も言わない。
 ひとりで責任でもとるつもりですか、と、尋ねるようだった。
 しばらくツォンを見上げ、レノは眉を寄せたまま目を閉じる。
「・・・俺が撃たれたことなんか、言わなくても良かったんすよ、と」
「・・・・・・」
「俺は、会社に命を託すように、契約してる人間なんだから・・・」
 あんたに迷惑かけたんじゃ、意味がない。
 その言葉に、ツォンは、彼の手のひらを強く握る。
「・・・会社に託すぐらいなら、私に託せ」
 言われたレノは、驚いたように目を見開いた。
 信じられなかったのではない。
 あまりにも信じられる真実の言葉に、返すべき台詞が見当たらなかった。





***





 月日が流れる。





 屋上でサングラスを外し、レノは白い息と煙を同時に吐く。
 隣にいる男もまた、同じように髪の毛を掻き上げて目を細めた。
 年が明け、ミッドガルの街には本格的な雪が降り積もっていた。
「減俸になったそうですね、と」
「・・・どうせ、使い道もない」
 笑い、レノは煙草を差し出す。
 それを片手で断り、ツォンはレノの胸元を見る。
 冬でも弟三ボタンまで開けられたシャツの隙間から、白い包帯が見えている。傷はまだ完治していないのだ。
 視線に気付いたレノは、大袈裟に肩を竦める。
「冬のボーナス貰うまでは、死んでも死にきれませんよ、と」
「・・・今年は出ないぞ」
「はあ!?」
「ハイデッカーが怒って出さないと言っている。恐らく本気だろう」
「・・・マジかよ」
 フェンスに身体を預け、レノはさっきまで竦めていた肩を落とす。
 そんな彼を横目で見ながら、ツォンはその胸ポケットから煙草を1本取り出す。
「ボーナスも出さない奴の指示は受けるな」
 受けると、減俸の上に、死ぬぞ。
 冗談には聞こえない冗談を言い、ツォンは自ら煙草に火をつける。
 レノはほとんど苦笑のような顔を作る。
「俺が受けるのは、ツォンさんの言う仕事だけですからね、と」
 吐き出した煙は、粉雪と空気にそっと溶けてゆく。
 そんな男を見つめ、ツォンが口唇を開きかけたとき。
 レノの携帯が鳴り響く。
 この男は、いつでも着信音量を最大にしている。気付かなかったという言い訳ができないように、 ツォンがそう設定するように言ったのだ。
 実際近くで鳴ると、相当煩い。
「げ、イリーナだ。また説教されるかな、と」
「・・・また、仕事でも押し付けたのか」
「上からも下からも説教されてますよ、と」
 ぱちんと携帯を閉じて、レノは自分の煙草をツォンの口に差す。
「じゃ」
 空気のように軽く、男はその身を翻す。





 2本の煙草を指に挟み、ツォンは吐息だけで笑う。
 今日も、部下たちは働いている。
 ばかな冗談を言いながら、笑いながら、そして、命を懸けながら。
 それら全てを、彼は守らなければならない。
 生きていてこそだ、という言葉を、綺麗事にはしたくない。
「・・・殉職は美しいものだなんて、幻想だ」
 呟く男は、今日も、部下を動かす。
 駒としてではなく、人間として、生かし続ける。
   











 ツォンさんは、実はすごく人間味があって、実はとても熱くて、 実はものすごく部下想いなのだろうな、と思いながら書いた話です。



2007.03.24 






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