もったいない

















 生まれて初めて、流れ星を見た。
 願いをかける間もなく消えてしまった夜空を見上げたまま、ツォンは古いオイルの缶に 炭を一欠けら入れる。下に残っている白くなった炭は、既に繊維質を露わにしながら消えかけている。 新しく足したものは水分が残っていたのか、ぱちん、と爆ぜるような音がした。
 同時に目を覚ました男は、草に両手をついて起き上がると、鼻に手の甲を当てて「くさい」 と呟いた。
 炭が焚かれている缶からは、白い煙が上がっている。
「なんの缶なんですか、これ」
「・・・オイルだ」
「変なガス出てるんじゃないですか、と」
 言われ、ツォンは露骨に眉を寄せる。
 わざわざ暖を取ってやっているというのに、偉そうなやつだ、と。
「それより」
 遠方に視線を向けて、レノは目を細める。
「まだ入れてもらえないんですか、と」
 すぐ近くに見えているコスモキャニオンの明かりが、レノの顔を微かに照らしている。 橙色をしたあの渓谷は、この黒服の男たちを細菌のように扱い、決して 受け入れてくれることはない。
 それも、ツォンにとっては予想の範疇だった。
「おまえらなんか野宿しろってことですか、と」
「・・・それが相手の正論だ」
 どんな人間でも受け入れると言いながら、コスモキャニオンは神羅に対しては 徹底した冷徹さを保ち続けている。それはどこか宗教的で、見ようによっては軍事的な信念で すらあった。それを前に、このふたりが一晩の宿をと請うたところで、 その「正義」が打ち砕かれることはない。
「ルードが炭持たせてくれて良かったですね、と」
 煙の収まった缶から、火箸で炭の欠片を取り出して、レノは新しい煙草に火をつける。それを見ながら、 ツォンは僅かに逡巡し、尋ねた。
「・・・怪我は?」
 夜空に煙を吐き出して、男は肩を竦める。
「かすり傷ですよ、と」
 サハギンの槍なんか、たいしたことない。
 そう言って笑みすら浮かべる男の脇腹を、ツォンはじっと見つめる。
 そんなはずないだろう。そう言いたくなる。
 暗がりと制服のせいでよく解らないが、軽い出血ではないはずだ。
「・・・休め」
 上司の言葉に、レノは何も言わずに笑うだけだ。
 強い風に吹かれ、煙草は見る間に短くなってゆく。本当に炭があって良かったと、ツォンは思う。 こんなところでは、焚き火もできるはずがない。ルードは実に気が利く、優秀な部下だ。 今のミッドガルでは滅多にお目にかかれない炭を調達してきたということが、それを証明している。
 それに比べて、この男はどうだろうか。
 こうして起きているのは、虚勢なのか、馬鹿だからなのか。
「休め」
 もう1度、言ってみる。
「朝になったらすぐに出発を・・・」
「あ、流れ星」
 ツォンの言葉を遮るように、レノは言い放つ。
 草に両腕をついたまま夜空を見上げている顔は、間抜けのように 口が半開きになっている。
 ツォンは苛立ちながらも、その横顔を見つめた。
 まるで流星群のように、幾つもの光が空を流れて落ちては消えてゆく。
 それをしばらく見つめた後に、レノは静かに呟いた。
「もったいないんですよ、と」
 もったいないんですよ。
 その言葉に、ツォンは「星が?」と尋ねそうになる。
 それを言わせないかのように、レノは視線を彼に向けた。
「今が、ですよ、と」
 ――その、どうしようもない言葉は。
 少なくとも、今まで幾度となく言われてきた。
 柄でもないくせに、空想を夢見心地に囁く言葉。
 それなのに、その言葉はまるで、初めて「告白」された時のような 響きを持ち、ツォンを少なからず動揺させる。
 それを悟られまいとしているツォンに、レノは顔を寄せた。
「こんな、恋愛小説みたいな夜は、なかなかないでしょう?」
 満天の空の下でふたりだけ、なんて、絵に描いたようなこと。
 耳元を掠める笑い声に、ツォンは目を伏せるしかない。
 首筋に触れる口唇はなぜか冷たく、「怪我してるんだから、おとなしくしていればいいのに」 と思う。思うのにも関わらず、おとなしくさせる気にも、なれない。
 言っても無駄だと目を閉じる寸前、また、星が流れてゆく。
 ツォンは、笑いたくなった。
 例えば、今この瞬間に、聖なる渓谷を穢すことができる。
 そんな、突発的な衝動に。












 炭の温かさは実に好きです。



2006.3.05






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