がっかり

















 着信メロディというものを、彼は使わない。
 ごく一般的な呼び出し音が鳴っている携帯電話を開き、レノは 電波を飛ばしている相手の名を見る。
「はい、と」
『先輩、すみません!』
 唐突に謝罪されても、彼にはなんのことだか解らない。
 手に持っていた煙草を靴箱の上に置き、ドアに凭れる。
「なにがだ、と」
『あの、今日の夜、行けなくなっちゃって・・・』
 急な仕事が入っちゃったんです。
 心から済まなそうに、女はそう続けた。
 レノはドアから身体を離し、踵を踏んだまま履いていた靴から 足を抜いた。要するに、ドタキャンというやつだ。
「・・・俺は構わないぞ、と」
『でも、先輩がせっかく休みで、夜も時間があるのに・・・』
 聴こえないように息を漏らし、レノはベッドに座る。
 煙草を靴箱の上に忘れたことに気付いたが、取りに戻るのも 億劫で、新しいものを開けた。
「ゆっくりするから、別にいいぞ、と」
 1本咥える。
 今度はライターが見つからない。
『本当にごめんなさい!今度、埋め合わせはしますから!』
 言い、他にも幾つかの謝罪の言葉を並べ、電話は切られる。
 レノの頭には、その言葉のどれも入っていなかった。





「デートじゃなかったのか」
 黒髪の上司は、皮の手袋を外しながらスツールを引く。
 レノはその男が口にした「デート」という言葉に笑った。
 そんな、胸焼けがしそうな甘い言葉は、遥か昔に置いてきたと思っていたのに、 他人から見たらそうなのか、と。
「デートはキャンセルですよ、と」
「・・・イリーナはルードと任務が入ったからな」
「ありえねぇですよ、と」
「がっかりでもしているのか?」
 珍しくホットウイスキーなどを飲む手を止め、レノは眉を寄せる。
 がっかり。
 また、この男は単純な言葉で確信をつく。
 苛々するとか、沈むとか、そんなものではない。
 もっと端的で、それでいて的を得た言葉。
「・・・がっかり、か」
「どうせ、そんな素振りはイリーナに見せなかったんだろう」
 ばかな意地。
 多少会えなかろうが、俺にはどうだっていい、と見せる意地。
「相変わらず、無意味な努力が好きだな」
 正しい姿勢を崩さず、残酷なアドバイスを吐く。
 そんな彼のぬるい厳しさを、レノは嫌いではなかった。
「ツォンさんは、女にドタキャンされたらどうするんです?」
「・・・どうとは、なんだ」
「がっかりして仕方ないですって、素直に言うんですか、と」
 誤字を発見したときの顔をして、ツォンは不満げに灰皿を引き寄せる。
 長い指が、ごく軽く灰を落とす。
「そんなわけないだろう」
 ほら、矛盾。
 どうせこのひとも、「がっかり」なんて顔には出さずに、 優しく紳士的な声で「構わない」とか言うのだろう。
 女を連れ去りたい腕を、スーツの内ポケットに隠して。
「無意味な努力ですね、と」
 同じ言葉を返して、ライターの火を差し出す。
 煙草を咥えるツォンの口唇が、薄く笑った。





 まったく、男なんて。
 自分で自分を笑う、そんな無意味さ。












 2005.11.12






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