背中の練習

















 ナイトスタンドだけが放つ明かりの中で、イリーナはベッドサイドに座っている。 レノは、彼女が帰り際に行う身支度を見るのが好きだ。
 白い腕が薄桃色のレースのようなブラジャーを手にとる。
 彼女はレノに背を向けたまま、淀みない指の動きでホックを留める。
 そのことに、レノは度々驚く。
 女はみんな、こんな器用なことが生まれつきできるのか、と。
 頭を支えていた腕を外し、その背中に触れてみる。
「なんですか?」
 さして驚きもせず、イリーナは首だけで振り向く。
 手の中には白いワイシャツがあった。
「見ないで留められるなんて、大したもんだぞ、と」
 ホックの部分に触れたまま、レノは笑う。
 この金具は、ふたつだったり、ひとつだったりするらしい。
 今日のものはふたつだが、それでも彼女は素早く留めてしまった。
「なぁ、女はなんでみんな、これを留められるんだ?」
「みんなってことは、ないと思いますよ?」
「俺が知ってる女はみんな、後ろ手で留めてたぞ、と」
 イリーナは呆れるように眉を寄せる。
 過去の女のことを遠慮もなく持ち出されることには、もう慣れた。
 それより、レノが言う「みんな」は、きっとかなりの数なのであろうから、 統計的に考えるとそれなりの正確性が出そうだ。
「後ろ手で留められない子も、いますよ」
「ふぅん。じゃあ、才能がないのか」
 金具越しに、レノの指の感触を感じながら、イリーナは笑う。
「才能じゃないですよ。練習するんですから」
「練習?」
 レノの声が、興味深そうな色を含む。
「私だって、最初はできませんでしたよ」
 見ないで留めるなんて、そんな、すぐには。
「ほら、前で留めて、ぐるって回せばいいんですけれど、それだと格好悪いじゃないですか。 だから」
 可笑しそうに、懐かしそうに、彼女は言う。
 レノは温かな肩甲骨に触れた。
 まだ胸が膨らみかけた頃の幼いイリーナが、部屋でひとり、その 練習をしている光景を考えてみる。
 そして、なんとなく、解った。
 男の前で、背中を見せてこの金具を留められるための練習だと。





 美しく、凛としたまま立ち去れるように。
 多くの少女が、まだ男も知らない頃から、練習をする。
 そんな夢を持つ、儚さにも似た健気さ。





 レノは、留まっていた金具を片手で簡単に外してしまう。
 その行為に、イリーナの項が笑った。
「それも、練習したんですか?」
「・・・才能だぞ、と」












 2005.11.12






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