停電

















 風の強い夜だった。
 イリーナは残業の手を止めて立ち上がると、ブラインドの隙間から夜景を 見下ろす。
 雨はないのに、風だけが異様に強い。まるで台風が近づいている 晩のように、風はごうごうと音を立てて、背の高い神羅ビルを 全力で殴りつけてくる。
「ルード先輩たちの任務、大丈夫でしょうか」
 でしょうか、と言いながら、その声は独り言のように小さい。
 レノはボールペンを置いて、書類をトンと揃える。
 大丈夫に決まってるぞ、と。
 そう断言すると、後輩は小さく微笑んだ。そうですよね。
 大きく両腕を伸ばして、彼女が再び席に戻ろうとしたとき。
 視界が黒く変化した。
「停電」
 呟き、ふたりは天井を見上げた。どこかで、ぶうんと音がしている。非常電源に切り替わるまでの短い時間だ。
 イリーナはもう1度ブラインドの隙間を広げる。神羅本社と、壱番街、弐番外までが 闇に包まれているようだ。
「停電って、ピンチですか、チャンスですか」
 まだ暗闇に慣れない目で、レノを振り仰ぐ。
 男はきっと笑っているだろうと思えた。何も見えないが、解る。今まで停電に遭遇したのは 片手の数ほどしかないが、 彼は停電というものが好きらしい。らしいというのは、本人が言わないからだ。それでも、いつも 声が浮き立つので、イリーナは彼が停電を楽しんでいるのだと思う。
 レノはゆっくりと立ち上がり、同じようにゆっくりと言葉を繋げた。
 やはり、この声はどこか楽しそうに響く。
「チャンスだろ、と」
 だからきっと、ルードたちも今頃動いてる。
 言われ、イリーナは壱番外を見下ろした。
 この闇の中、この一瞬。
 命の灯火が消えてゆくということが手にとるように解った。
 あと数秒で、非常電源に切り替わる。原因は大したことないだろう。大方、 本社の制御システムのメンテナンスか、誤作動だ。
 僅かの間にイリーナはそう考える。
 そして、さらにその僅かな後に、レノの腕が彼女を抱きすくめた。
 背中から、覆いかぶさる闇のように、静かに。
 抵抗することなく、イリーナは目を閉じる。





 命が失われるその瞬間に、私は愛する男の腕の中にいる。
 その魂に祈ることすら忘れて、数秒の抱擁に身を沈める。





 眼が慣れた。
 そう感じた瞬間に、本社には明かりが戻ってきた。
 そして、それに気付いたときには、もう既に背後の闇はデスクに座り、ボールペンを咥えている。
 いつの間に、と思うほどの素早さだ。
 イリーナは、一瞬前の腕が幻なのかと思ってしまう。
 胸が高鳴っていた。
 いつまで経っても、彼の唐突な静けさを前にすると、こうなってしまう。
 獣のような激しさより、ずっとどきどきした。
 イリーナはネクタイを強く掴み、目を閉じた。
 こういう事態の後に、彼女は必ず後悔をする。
 言おうと思っていたことを、言えないからだ。
 だから今日は、言ってしまおう。
 いつものように、軽さを心がけて、彼女は振り向き、笑う。
「今日は、ケダモノじゃないんですね」
 極力軽く言おうとしたのに、「今日は」の「きょ」が震えたし、 響きはとても冗談には聞こえなかった。
 レノは、ふっと息だけで笑い、そうだな、と答える。
 途端、イリーナは言うんじゃなかった、と、激しく後悔をする。
 言わずに後悔をしたときより、ずっと深く。





 なぜ、想像もしなかったのだろう。
 暗闇の中、背後から自分を抱き締める彼の表情を。





 苦しそうなんだろう、とか、泣きそうなんだろう、とか。
 なぜ、そういう想像をしなかったのだろう。





 そうかもしれないのに。












 2005.10.19






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