求 め て 叫 ん で 


−SIDE:LENO−

































 霧雨の夜、おれはひとりになった。
 来るもの拒まず、去るもの追わずだろ、と。
 別れを告げるものを追うことなど、俺はしない。
 ただ静かに、そうか、と、言うだけだ。
 あいつは俯いたまま、俺に背を向けて歩き出した。










 何も変わらない。
 以前の生活が戻ってきただけだ。










 あいつは、俺の知らない男と付き合っていた。
 まるで恋人同士のように、幸せそうに笑って。
 ・・・いや、恋人なのだろう。
 俺はそんなふたりの姿を見た晩、見知らぬ女と寝た。
 あいつ以外の女を抱くのは久しぶりだった。
 女は、イリーナよりも遥かにセックスに慣れていて、そして何より、うまかった。俺の 身体を全て知り尽くしているかのようだった。
 ああ、これならあいつなんかいなくても、何も構わない。
 そう思うほどに。
「ねぇ、私たち、付き合ってみない?」
 女は俺の身体の下でそう言った。
「別にいいけど、と」
「よかった。こんなに相性がいいの、初めてだもの」
 ・・・俺に抱かれた女は、みんなそう言った。
 言わなかったのは、あいつぐらいのものだ。










 女は毎晩、俺が帰ったその瞬間に求めてくる。
 嫌ではない。
 それが男ってものだろう。
 あいつのように、シャワーを浴びろとか、制服を皺にするなとか、あの日だからとか、面倒なことは なにひとつ言わずに、ただ足を開く。
 簡単だ。
 女と付き合うということは、こういうものだ。
 少なくとも、以前の俺にはそうだっただろう。
 その生活に戻ってきたというだけだ。





 その女は、料理をしない。
 洗濯も、掃除もしない。
 そして、豊満で美しい身体を持つ、美女であった。
 幸福そうに煙草を吸い、笑う。
 どうせ結婚するわけでもなし。
 これが恋人であっても、何も困ることなどない。
 ただ、寝るだけの相手なのだから。










 ある晩だった。
 俺は制服を脱ぐこともせず、ソファに横になっていた。
 女はシャワーを浴び終わったまま、鏡の前に立っている。
 長い爪が、そこに存在していたひとつの口紅を持ち上げた。
「かわいい色」
 その言葉に、おれはふっと目を上げた。
 持った口紅を俺に見せながら、形の良い口唇が笑う。
「前の彼女のものでしょう?」
「・・・・・・」
「かわいい子だったのね」
 柔らかな桃色をした口紅だ。
 なんという色のものなのか、俺は知らない。
 むしろ、あいつの痕跡がここに残っていたことすら、知らなかった。
「私にも似合うかしら」
 言って、女はその口紅を口唇に当てた。
 あいつがつけるよりも、濃く。
「どう?」
 女が、こちらを向いた。
 そして俺の眼は、見開かれた。
「・・・帰れ」
「え?」
「・・・いいから、帰れよ。2度と来んな」
 胸が、ざわついた。
 その色のついた口唇を、ひどくおぞましく感じる。
 あいつの口紅をつけた、その女自体が。
「レノ、どうしたの?」
 裸体にタオルを巻きつけたままの女から顔を逸らして、俺は部屋を出た。自分の部屋であるにも関わらず、 そこに存在していたくなかった。










 あの色は、幸福な色だ。
 あの色の口唇が笑う瞬間を、俺はなぜ、憶えているのだろうか。










 意味もなく訪れたバーに、あいつは男を連れてやってきた。
 そして、紳士的な男にハンカチで髪の毛を拭かれて。
 あの色の口唇は、それは幸福そうに、微笑んでいた。
 ふざけんなよ、と、言ってやりたいほどに。










 なぁ、
 おまえの幸福などが何処にあるかなんて、知ったことじゃない。
 けど、いいか。
 おまえはどうせ、おれのものだ。
 俺の心の中に存在しているものは、全て、俺のものだ。
 だからお前も、俺のものなんだ。
 わかってんのか?










 ・・・ふざけんなよ。













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2005.07.05





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