その日、レノは珍しいものを見つけた。
 イリーナのデスクの下に、華奢なヒールのミュールがあった。
 当然、レノはそれが「ミュール」という名前のものだとは知らない。ただ、 外見的に「仕事で履く靴」ではないと解った。
 彼女は現在、ツォンと外の仕事に出ている。
(あいつ、制服で出勤するのに、なんでこんな)
 しゃがみ込んで、それを指でつまみあげてみる。
 線が細く黒いベルトに、ささやかなラインストーンが散りばめられているデザインだ。彼女が 好みそうなものだった。
 細いヒールは、微かな力を加えただけで折れそうなほどだ。
 まして、戦うときに履けそうなものではなく。
 興味深そうにそれを見つめていた時、背後で「先輩!?」 という甲高い声が響く。
「な、なにしてるんですか!?」
 レノはミュールを摘み上げたまま、後輩を振り仰ぐ。
「珍しい靴があるな、と思ってな、と」
「べ、べつに・・・、普段だって履いてますよ」
「今まで職場でこんなの履かなかったくせに」
 からかうような言葉を無視して、イリーナはミュールを奪うようにレノの手から取り上げた。 小さく口唇を尖らせて椅子に座ると、 彼女はそれまで履いていたスクエアヒールの革靴を脱ぐ。
 そうして、ストッキングの足にミュールをひっかける。
「履きかえんのか、と」
「そうです。オフィスにいるときは」
「なんで」
 そんな面倒なことをいちいちする、彼女の気持ちが解らない。
 だがきっと、イリーナはイリーナで「そんな質問をするなんて」と思っていることだろう。 レノはそれを解っていて、問うていた。
「なんでって・・・、レノ先輩が言ったからです」
 ふてくされたような彼女の言葉に、レノは僅かに目を細める。
 自分が何を言ったのか、記憶になかった。
「俺、何か言ったかな、と」
「言いましたよ!憶えてないんですかっ!?」
「怒るなよ、と」
「怒りますよ!自分で言っておいて!」
 レノは反省の色も見せずに、笑いながら立ち上がる。
 自分よりも目線の高くなった彼を見上げ、イリーナは溜息をついた。
「自分で『女らしくしろ』とか言っておいて・・・」
「・・・そんなこと、言ったかな、と」
「もう!憶えてないならいいです!」
 本当に怒っているのか、イリーナは履いたばかりのミュールを脱ぎ捨てるようにして 床に置いた。
 レノはそんな彼女の耳元を見つめて、初めてその変化に気付く。
 いつものピアスとは違う、薄桃色の石だ。それがなんという名前の石なのか、 それもまた彼は知らない。
 デスクの上に置かれているハンカチも、仕事の時に持つ無地のものではない。 ふたりで会うときに彼女が持つ、花柄の入ったものである。
 そんなささやかな変化に、レノはその時やっと気付く。
(こんなの、気付くはずもねぇぞ、と)
 そう思っても、当然、口に出すことはせず。
「女らしさとか、俺にはわかんねぇぞ、と」
 横に倒れたミュールを拾い上げて、もう1度、まじまじと見つめる。
 この華奢な靴に履きかえることが、彼女にとっての女らしさなのか。
 ピアスを変えたり、ハンカチを変えたり、そんな、小さなことが。
「けどっ・・・、私は頑張ってるんです!」
 女らしくするって、いろいろと、大変なんです。
「そこのところ、先輩はもっとわかるべきです!」
「別に、解らなくても困らないだろ、と」
 怒っている彼女の耳朶に、レノはついと触れた。
 桃色の石に親指で触れて、彼は笑う。
「ほんと、わかんねぇぞ、と」
 女に、女らしさもくそもねぇだろ、と。





 女は女で、それ以下でも、それ以上でもない。
 そうじゃねぇのかな、と。








-----------------------------------------


 女は女で、それ以下でも、それ以上でもない。
 これは、私にとってひとつの信条です。
 そして、どうしてもレノさんに言わせたかったことでもあります。
 


2005.06.05





inserted by FC2 system