陸橋で会いましょう







 仕事。
 その意味は広く、そして深く、普通の人間が考える域を遥かに超える。 そして彼らにとって、その仕事は、ひどく重い。





 レノは、仕事の後にイリーナと会うことを避ける。それは当然のことであると、 イリーナも知っていた。彼女もまた、仕事の後にはレノと会うことを避ける。
 2人だけではない。
 ルードや、ツォンもそうだろう。
 必要がなければ、ひとりでいたい。
 そう思う仕事が、日々の糧を作り出していた。
「終わるのは、朝になるんですよね?」
「多分な、と」
 暗闇の中でシャツに袖を通すレノは、淡々と答える。
 その背中に、イリーナはジャケットをかけた。
「私、先に出勤してますね」
「・・・・・・待ってろ」
「・・・え?」
 待っていろ、と、確かにレノは言った。
 だが、イリーナの問い返しに彼は答えない。
 答えないまま、足はドアに向かっていた。
 長い指が、靴の踵に触れる。
「・・・いや、やっぱ、忘れろ」
「・・・・・・先輩」
「じゃあな、と」
 その背中は振り向かない。
 ドアの向こうの暗闇に滑り込むように、男は姿を消す。冷たい鉄の扉が閉まってもまだ、 イリーナはその場から動けなかった。
 何か、言葉をかけるべきだったのだろうか。
 いや、いつもそんなことはしない。
 相手だって、言葉など望んでいないだろう。
「・・・・・・」
 疲れたように椅子に座り、テーブルの上の雑誌を見るともなしに繰る。明かりがなくとも、 この街の夜は明るかった。
 雑誌の言葉は、イリーナになんの意味も与えてはくれない。
 カレにかけてあげると喜ばれる言葉?
「・・・なに、それ」
 教えてほしかった。
 人を殺しにゆく恋人に、かけるべき言葉を。





 命を奪うものは皆、朝日が怖いの。
 だから、ひとりで逃げるように帰るの。
 でも、本当は、ひとりのほうが怖いのよ。
 そう気付いたのは、最近だけれど。





 東の空から、朝日が射し始める。
 冷たい空気に、イリーナは肩を竦めた。
 手に息をあてて、光に目を細める。
 朝日は、タイムリミットの証。
 そう知ったのは、タークスに入ってすぐであった気がする。
「・・・だから、怖いの」
 朝日が出るまでに、始末をしなくては。
 そう思う気持ちが、とても痛かった。
 腕時計に目を落とし、再び顔を上げる。
 レノは「待っていろ」と言い、そして「忘れろ」と言った。どちらの 言葉が本心なのか、イリーナは知る由もない。
 だが、自分だったら・・・。
「待っていて、ほしいもの・・・」
 だから、ただ、それだけの気持ちでここに立っている。
 冷たい朝日が見える、この陸橋で。





「忘れろって言ったはずだぞ、と」
「・・・・・・あ」
 声の主は、いつものように、煙草を吸っていた。
 コートも羽織らず、マフラーも巻かず、静かに歩いてくる。
 猫のような目が、ちらりと朝日を見た。
「人の話、聞いてたのかな、と」
 イリーナは、目の前に立つを男をじっと見上げる。
 煙草を持つ指は、普段となんら変わることはない。
 その手が、指が、暗闇の中でひとつの命を摘みあげてきた。
「先輩」
「あ?」
「一緒に行きましょう」
「・・・・・・」
 冷たくかじかんだ指が、躊躇うこともなくレノの手をとる。
 歩き出した彼女は、振り向くことはしなかった。
 だが、なぜだろうか。解っていた。
 背後を歩くレノは、きっと笑っているだろう。



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 タイトルだけが最初に出てきた話です。
 でも、出てきたのは1月ぐらいだったような。今まで一体何をしていたやら・・・、 という感じです(笑)



2005.03.20





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