落とし穴

















「見つけた」
 兵助は、自室の前に立っている喜八郎を見つけて、ぎょっとした。
 その心を読んだかのように、喜八郎が眉を寄せる。
「先輩、私のこと避けてません?」
「べ、別に・・・」
「あの時から」
「あ、あの時って?」
 兵助はそう聞き返したが、実は憶えていた。
 髪結いの紐を買った時のことだ。あれから、どうしても喜八郎に対しての 気まずい思いが払拭できずに、避けていたのもまた事実だ。
 だが、部屋の前で待ち伏せされるとは、想ってもいなかった。
 平生を装い、兵助は微笑む。
「避けてなんかないけど」
「・・・なら、ちょっと付き合ってほしいことがあるんですけど」
 今度は、喜八郎が微笑んでいた。
 反対に、兵助の顔が引きつる。
「・・・また、なんか企んでない?」
「なんのことですか?」
 喜八郎も尻尾を出さない。
 だが、どこか釈然としない兵助は、腕を組んで首を傾げた。 裏があるような気がする。
 すると、喜八郎が不意に俯き、溜息を漏らした。
 目を眇めて、床板を見つめている。
「・・・ほんとは、ずっと避けられてるの、寂しくて・・・」
「え!?」
「私が悪かったのは解るんですけど・・・でも、ずっとだし・・・」
 心なしか、鼻声だ。
 兵助は思わず腕を解いた。誰かに見られては、誤解される。
「わ、わかったよ。どこか、2人になれるところに行こう」
 そう言って、まだ俯いている喜八郎の肩を抱く。
 2人は裏庭に向かった。



 喜八郎の足取りに合わせて、兵助も歩いた。場所は相手に合わせたほうがいいだろうと 思ったのだ。喜八郎は、裏庭の、特に木々が茂った場所へと入ってゆく。
(な、なんでこんな所に?)
 兵助は、自分の頭に浮かんだ良からぬ考えに驚く。
(いかんいかん!)
 雑念を振り払うように、彼は大きく左右に首を振った。
 少し前で、喜八郎が立ち止まってこちらを見ている。
「先輩、来てください」
「え?あ、はい!」
 思わず敬語になりながら、兵助は早足で歩み寄る。
 喜八郎に手が届くほどの距離になったとき。
「うわぁ!!」
 兵助は、落ちていた。
 正確には、落とし穴に。
「なっ・・・、なんでこんなところに・・・」
 そう言った兵助は、自分を見下ろして目を細めている喜八郎の顔を見て、 我に返った。
 そうだ、これこそ、彼の企み。
「も、もしかして綾部、これお前が・・・」
 喜八郎は嬉しそうに穴の淵にしゃがみ込んで、兵助を覗き込む。
 深さは大したことないが、兵助は尻から落ちた上に、中に薄く張られている泥水にしっかりと浸かって いた。
「そうですよー。まさか、こんなに簡単に落ちてくれると思いませんでしたけど・・・」
 腕で身体を起こしながら、兵助は少しでも雑念を持った自分に呆れた。なんとか地面に手をついて、上半身を 穴から出す。
「ずっと避けられてた、報復か?」
 むっとしながら言う兵助に、喜八郎は両手の手のひらを向けた。
「違いますよ。そんなことしても、つまらないですし」
「じゃあ・・・」
「それより、お風呂に入らないといけませんね」
「は?」
「そんなに汚れてたら、着替えただけじゃ風邪引くし」
「・・・もしかしてお前」
「一緒に入りましょうね。背中流しますよ」
 嬉しそうに笑いながら、喜八郎が手を差し出す。
 兵助は、脱力しながら地面に顔をつけた。
「・・・マジ?」
「マジです」
「企んでたんじゃん・・・」
「服も洗ってあげますね」
 だらりとした兵助の腕を、喜八郎は嬉しそうに引っ張った。












 ・・・もう何も言うまい・・・。

 私の綾久々はこんなですが、なにか?



 2005.10.19









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