蠱疾

















 街の露店でその姿を見つけたとき、思わず兵助は物陰に隠れた。
 喜八郎が、身を屈めて何かを探している。その露店の店主に何かを言い、微かに 眉を潜めたのが、兵助にも見えた。色素の薄い瞳が、諦めの色を持って店先から離れる。
 兵助は慌てて、その背中を追った。



「綾部!」
 振り向いた喜八郎は、眉を寄せたままだ。
「久々地先輩・・・」
「買い物?」
「・・・ええ、ちょっと」
「一緒に行っていいか?」
 その言葉に、喜八郎は怪訝そうな顔をしたが、すぐに黙って歩き出した。どうにも今日は、 あまり機嫌がよろしくないらしい。兵助は、息をついた。
「何か、探してんのか?」
「なんでも、ないんです」
「・・・知られたくないとか?」
「別に、そうじゃないけど」
 ひとつの露店の前で、喜八郎の足が止まる。止まったが、すぐには覗こうとしない。 隣にいる兵助の顔を見上げて、どうしようかといった顔をしている。だが、店先に立って ウロウロしているのも失礼だと思ったのか、すぐにその露店を覗き込んだ。
 売られているのは、櫛、簪、そして髪結いのための美しい紐の数々。そんな店を 覗いたことのなかった兵助は、微かに息を飲んだ。
 その呼吸を聞いたのか、喜八郎が目だけを上げる。
「先輩」
「え?」
「こんなの、女が見る店だって思ってるでしょう」
「いや、そこまで考えてないけど」
 喜八郎の手が、数本の紐を選ってゆく。
「ずっと使っていた髪結いの紐が、切れたんです」
 訊いてもいないことを喋りながらも、彼は手を動かす。
「あの紐でないと、気持ち悪くて、・・・似たもの、探してるんです」
 言われてみれば、喜八郎はいつも同じ紐で髪を結っていた。それに気付いたのは、だいぶ前だ。 だが、それにそこまで思い入れがあるとは、思っていなかった。
 色は、白と深緋の2本の糸を編んだものだったような気がする。喜八郎の手が 選んでいるものも、朱を基調にしたものばかりだった。
 兵助も、数多の紐に手を伸ばす。区切りのある薄い箱が並び、小さく結ばれた 紐たちがひしめいている。
「綾部、これは?」
 そう言って兵助が差し出したのは、白に深緋・・・というよりは、赤紫に近い色の糸が 織り込まれている紐だ。喜八郎が黙って、それを手にとる。
 そのとき、初めて喜八郎が笑った。
「・・・蠱惑的な色だ」
「気に入らないなら、いいけど」
「せっかく先輩が選んでくれたんですから」
 首を左右に振り、喜八郎は店主の男にそれを差し出す。
 昼下がり。日が高く、気温が上がり始めていた。



 帰り道、木陰の下に座った喜八郎は髪をほどいた。
「もうこんな麻の紐なんてうんざりだ」
 かさかさとした糸を投げ捨てて、懐から買ったばかりの紐を取り出し、結び目を解く。 それを見ていた兵助に、喜八郎は紐を差し出す。
「結ってください」
「・・・おれが?」
「せっかくですから」
 受け取った兵助は、喜八郎の背後に回り、髪を束ねた。後れ毛のないように、いつもの位置になるように、・・・。 人の髪の毛を結うということは、存外に気を遣う。
 左手で束ねた髪の毛を抑え、右手で口に咥えていた紐をとった。一尺半ほどの長さの紐を、 髪の毛に絡ませる。
 そのとき。
 喜八郎の手が、無意識か、意識的か、うなじに触れた。
 まだ結い終わっておらずに垂れたままの紐の先端が、彼のうなじに触れていたらしい。 喜八郎はそれに触れたのだ。
「くすぐったい」
 笑って、その手はすぐにうなじから離れる。
 兵助の手は、止まったまま動かない。
 坂道を登ったせいか、うなじは微かに湿っている。一本の髪の毛がそこに張り付いている。そこに、 白と赤紫の紐がゆらゆらと揺れる。



 兵助の身体が硬直した。



 無意識。
 微かな熱を持つ口唇は、そのうなじに押し当てられていた。
 その行動に、兵助の自我は存在していなかった。
 いや、していたのかもしれない。
 だが、突発的な欲望を止める術を、彼は知らなかった。



 口唇を離し、兵助は蚊の鳴くような声で呟いた。
「ご、ごめん」
 喜八郎は何も言わずに首をひねり、兵助を見上げる。
 笑っていない。
「別に、謝らなくていいですよ」
「でも、怒ってるだろ。・・・いきなり、こんな」
「怒ってないです。だって・・・」
 喜八郎の目が細められる。
「先輩がそうするように、仕向けたんだもの」












 小太郎さまへ。綾久々ということで。

 どうしても綾部には微エロな感じがつきまといます(笑)
 イメージにそぐわなかったらすいません…!

 蠱疾 【こしつ】 女に惑う病。



 2005.10.19









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