B C P

 












































 その日の図書室には、邪魔者がひとり、いた。
 並んで座っている三郎、長次の目の前に座る男。
 それは、潮江文次郎。
 そんな所に彼がいるせいで、今日はまだ誰も本を借りに来ていない。
(邪魔だ・・・)
 当然三郎は、その呟きを心の中だけで留めておく。
 しかし、視線だけは正直に文次郎を射ている。時折ちらちらと相手を見ながら、三郎は手元の 本を読んでいた。
「で、この出費は?事務用具って具体的には?」
「・・・筆と、墨と、紙だ」
「その割にはけっこうな額だが、紙の種類は?」
 会計委員長の詰問に、長次は淡々と答えている。文次郎は帳簿と長次を見比べながら、 図書委員の予算に納得をしたらしい。
「まあいいだろう。不正に使われてはいないようだな」
 横柄に言い放ち、帳簿が閉じられる。
 安堵と共に三郎が目を上げた瞬間。
 文次郎の手が、なぜか長次の頬に伸びていた。
 途端。
 ばしっ、という音が響き、長次は瞬きをひとつする。
 眼前に伸ばされた文次郎の手を、三郎が叩き落としていたからだ。
 目を丸くして、文次郎は膝で立ち上がっている後輩を見上げる。
「なんだよ」
 問われ、三郎は反射的に動いてしまった自分の右手を見る。
 なんだと言われても。
「あ、あんたこそ、なんで長次先輩に・・・」
 微かに頬を赤くして、三郎は文次郎を睨む。
 すると、彼の手は再び長次の頬に伸びた。
「ここに、ごみが」
「ちょっ・・・!」
 だが、それをも三郎の右手が叩き落す。
 諦めずに、文次郎はさらに手を出し、また、阻止される。
 彼はついに、三郎と同じように膝で立ち上がった。
「だから、ごみがついてるっつってんだろうが!」
「そんなの俺が取りますから、触らないでくださいよ!」
「てめぇの顔じゃねぇだろ!」
「それでも駄目です!」
 長次の顔には、未だに取れぬほこりがひとつ。
 文次郎としては、こうなったら意地でも取ろうというものだ。
 そして三郎もまた、それを死守してやりたくなっていた。
 長次はぼんやりとふたりの両手による応酬を見つめている。
「なんでいちいち止めるんだよ!」
「あんたこそ、そこまでして取る必要ないだろ!」
「そう思うなら、お前がどけよ!」
「いやだ!あんたに触られると、菌がうつる!」
 菌だと!? と、文次郎の声。
 長次先輩があんたみたいになったらどうすんだ! と、三郎。
 その声と手のやりとりを暫く傍観していた長次だったが、仕方ないとばかりに ふたりの間に割って入る。
 ぴたりと止まった騒動の後、長次は埃がついている(らしい)右頬を、ついと 三郎に寄せた。
 無言のまま寄せられた頬に、三郎は戸惑う。
 そして僅かな逡巡の後、その小さなほこりに、そっと手を伸ばした。
 取れた埃を見つめ、再び顔を上げると。
 いつもの無表情に、目だけで笑う長次がいる。
 三郎の頬が、自然と赤くなった。
「・・・おまえら、実はバカだろう」
 みせつけられた文次郎は、溜息と共に頭を掻く。
 そうでもしなければ、その甘さに呑まれてしまいそうだった。
「文次郎」
「なんだよ」
「用は済んだんだろう」
 さっさと帰れと、言外に含んだ言葉。
 顔はいつもと変わらないが、明らかに邪魔らしい。
 帳簿を持ち、文次郎は立ち上がった。
「お前、デレデレすんのもいい加減にしろよ」
 あー、甘かった。暫く羊羹も饅頭もいらねぇな。
 呟き、文次郎は図書室から姿を消す。
 三郎は人差し指と親指の間に、先刻取ったほこりを摘んだまま、長次を覗き込んでみる。 やはりその顔に、大した変化はない。
「先輩、いま、デレデレしてるんですか?」
 長次はひとつ首を傾げる。
「・・・そうかもしれない」
 必死になって文次郎の手を止めようとする三郎が、可愛くて。
 なんだか、とても可愛くて。
 ・・・その本心だけは、言わずにおくとして。
 それでも三郎は、――それこそ、羊羹も、饅頭もいらないと思えるほど甘く―― 笑っているのだった。













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 三郎にとって、文次郎は「悪の手先」みたいなやつだといいな。
 触ると、本当に何かに伝染すると思ってるといいな。




2005.09.12





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