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手遅れ






























 秋も近づく季節の夜は、ひどく涼しい。
 虫の音は深みを増し、近くからも、遠くからも、まるで全てを包み込むかのように 鳴り響いている。
 そして月もまた、それに比例するかのように、明るい。
 誰もが寝静まり、人気のない縁側で、ふたりはそれを見上げている。
 秋の夜は長い。
 それは、互いに愛する者たちにとっては幸福だ。
 ここにいるふたりにとっても、例外ではない。
 三郎は、身体をぴたりと長次に寄せる。
 長次はそんな彼の肩に腕を回した。
「・・・寒いのか?」
「・・・・・・そうじゃ、ないですけど」
 三郎が秋を好きな理由は、他にもあった。
 なんの理由がなくとも、相手に触れていられること。
 そして、その体温を、触れた場所の全てで感じられること。
「・・・あったかい」
 目を閉じ、そう呟いてみる。
 頭上から、ふっと息が降りてくる。
 きっと、表情に出さずに笑っているのだろう。いつものように。










 秋の悪戯だろうか。
 三郎は少し、長次に甘えてみたくなっていた。
「先輩」
「ん?」
「こう、してください」
 こう。
 言いながら、三郎は手でその行動を示してみる。
 それは、後ろから自分を抱え込んでほしいということであった。
 いつもならば、そんなことを頼める彼ではない。
 しかし、その晩はなぜか、それが許される気がした。
 長次は何も言わずに、言われた通りに三郎を背中から抱きこんだ。 足の間にいる三郎はその腕に触れ、縋るように頬を寄せる。
「・・・さっきより、あったかい」
「・・・そうだな」
 声の近さに、三郎は少しだけ驚く。
 身体の全てが包まれているような気がした。
 背中を向けるなど、忍びとしてあるまじきことだというのに、今はそれで 何もかもが満たされる。
 三郎は再び目を閉じ、吐息のように呟いた。
「・・・もう、手遅れだ」










「・・・手遅れ?」
 問い返され、三郎は腕の中で頷く。
「先輩は、もう、おれを止められないから」
 どんなに嫌いになれと言われても、もう、なれない。
「だから、手遅れ」
 言い、少しだけ、笑う。
 彼は気付いていた。
 自分の気持ちが、片恋をしていた頃より遥かに大きく、どうすることもできない 場所まで来てしまっていることを。
「・・・先輩がいけないんだ」
「・・・・・・」
「おれが、最初に好きだと言ったとき、先輩はおれの気持ちを断ち切らなかった。 だから、おれは、・・・」
 いつまでも、あなたばかりを追ってしまう。
 捨てられてもきっと、諦めなんか、つかない。
 まるで虫の音のような声に、長次は沈黙を守り続ける。
 しかし、彼をかき抱く腕の力は、先刻より強くなっていた。
 三郎は驚いたように、首だけで振り仰ぐ。
「せ・・・」
「手遅れでいい」
 低く、静かに、それでも、はっきりと。
 長次は彼の目を見て言った。
 月明かりの中、三郎の顔に朱が差す。
 そんな彼の頭ごと抱き、長次は目を伏せる。
「あのとき断ち切らなかったことを、後悔など、しない」
 言われた三郎の顔が、はっきりと歪む。
 そんな、と、目が訴える。
 そんな、未だ解らぬ未来のことを、言い切らないでくれ、と。










 月は、僅かに西に傾いでいる。
 三郎は身体ごと長次のほうを向き、大きな背に腕を回す。
 きっと自分は、泣きそうなくせに、真っ赤になっている。
 そう解っているからこそ、月に背を向けたかった。
 それなのに、長次の手は彼の顎を捕え、上を向かせる。
 気持ちだけ抵抗をしてみても、空気の流れは強く。
 流されるしか、術はない。
「・・・鉢屋」
 呼ばれるのと口唇が触れるのは、ほぼ同時だっただろうか。
 なんて器用なひとだろうと思いながら、三郎は目を閉じる。










 もう、手遅れだ。

 こんなに惚れてしまって。

 後戻りなど、とてもではないが。













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 私は、後戻りできないぐらい長鉢に惚れています・・・笑




2005.09.05





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