B C P

 














































 つまらない。
 つまらない。
 何度、心の中で繰り返してみたことだろうか。
 そう思いながら、三郎は1冊の本を読みふけっている 男の背中を睨んでみる。恨みでも込めるように、 目を見開いてみたりして。
 そうしているうちに気付いてもらえるのではないかと思ったが、それは浅はかな 考えだと、すぐに気付かされる。
 男はぴくりとも動かず、同じ姿勢を保ったままだ。
 今のようなことが、時折、ある。
 読書に没頭した長次は、尋常ではない集中力を発揮する。声をかければ、返事はする。しかし、 返事とは言っても反射的に声を出しているだけで、「ああ」とか「うん」とか、まるで 意味のないものばかり。
 今日、こうなってしまってから何時間経つだろうか。
 三郎も、幾度となく声をかけてみた。あらゆる話題を振って見た。数え切れぬほど、 名前を呼んでみた。
 しかし、やはり返されるものは生返事ばかり。
 三郎は眉を寄せ、本気で長次を睨む。
 彼にとって、構ってもらえないのは一種の屈辱であった。
 おれが好きなら、構ってよ。
 口にはしないが、いつも考えていること。
「先輩」
「ん」
 その返事に、三郎のこめかみがぴくりと動く。
「・・・おれ、帰りますよ。ここにいても、先輩そんなだし」
「・・・・・・、・・・・・・ああ」
 言われたことなど聞いていないのに、この返事。
 三郎は勢い良く立ち上がった。
 ああそうかい、という気持ちが、彼をひきつったように笑わせる。
 最後の抵抗というように、襖を勢い良く開け放つ。
 ぱんっという音の後に振り向いてみても、見えるのは背中ばかり。
 三郎はとうの昔に哀しみを通り越し、憤慨していた。
「先輩のばぁか!!!」
 その捨て台詞は、五つ離れた部屋にまで聴こえていた。
 というのは、後の小平太の話である。










「おい」
 文次郎が呼ぶ。
「おい、長次」
 続いて、小平太が肩を掴む。
「長次っ!」
 それに続いて、文次郎が頭を揺さぶる。
 そこでようやく、長次は書物から顔を上げた。
 視界の文字が揺れたことで、異変に気付いたらしい。
 ふたりは呆れたように、何も理解していないような彼を見つめる。自然と、 溜息が漏れた。
「長次、さっきの聞いてたの?」
「・・・なにがだ?」
 ほらな、と言うように、文次郎はぽんと小平太の肩に触れる。
 されたほうも、その肩を竦めるばかりだ。
「・・・ここにいたはずの誰かは、どうしたの?」
「誰かって・・・、・・・鉢屋か?」
 そういえば、いない。
 そんな顔をして、長次は首を傾げた。
 ばかだよ、こいつ。
 そう言う文次郎を、逆に睨む始末だ。
「あのな、長次。おまえ、本当に何も聴こえなかったのか?」
「だから、なにが・・・」
「長次はね、鉢屋にバカって言われたんだよ」
 それも、ものすごくでかい声で。
 ほんとに聴こえてなかった?
「・・・・・・バカ?」
 あいつがおれに?
 露骨に戸惑う長次に、文次郎は失笑する。
「おーおー、かわいい後輩にそこまで言わせるとは、おまえの集中力は大したもんだ」
 嫌味を言う文次郎の隣で、小平太は眉間に皺を寄せる。
「鉢屋のことだから、今頃、拗ねてるよ?」
 そのときの長次の、動揺した顔といったら。
 それはもう、見ものだった。
 というのは、後の文次郎の話である。










 典型的ないじけ方だと、長次は途方にくれる。
 三郎は部屋の角で、膝を抱えて蹲っていた。
 部屋に現れた長次を見た瞬間、未だに収まらぬのであろう激昂を むき出しにしてくる。
「・・・すまなかった」
 とりあえず、そう言わねばならぬ。
 それでも三郎は、拗ねた顔をぷいと壁に向ける。
「おれが何度先輩のこと呼んだか、知ってますか」
「・・・いや」
「73回です」
 どうせ、1回も聴こえてないと思うけど。
 嫌味を付け足すことを忘れずに、三郎は言う。
 その回数を数えるほど退屈だったのだとも、言いたいのだろう。
 長次はその意思を汲んで、もう1度「すまない」と謝罪する。
「・・・どうしたら、許してくれる?」
「そんなの、自分で考えてください」
 情状酌量の余地もなく、長次は突き放される。
 こうなってしまった三郎は、普通の人間には強敵だ。
 しかし、長次は。
 長次だけは、乗り越える術を持っていた。
 彼は、両手で膝を抱えたままの三郎の隣に座り、頑なになっている 肩に腕を回す。
 それだけで、堅牢のような三郎の気が一瞬緩む。
 頭を抱き寄せて。
 撫でて。
「三郎」
 と、呼ぶ。
 それ以上に何をする必要もない。
 三郎にとっては、長次にそうされること自体が蜜であるのだから。
 解されることに耐えるように、目を閉じるしか術はなく。
「・・・先輩は、ずるい」
 おれを好きなだけ、困らせて、哀しませて、怒らせて、最後には簡単に 手玉にとってしまう。
「そうか」
「・・・そうです」
「いやか?」
「嫌じゃないから、もっと、ずるい」
「そうか」
「そう、です」
「すまない」
 なぜ嫌じゃないと言っているのに、謝るのだろう。
 そう思いながら、三郎は肩に凭れてみる。
 散々拗ねて、絶対に許さないと思っていたにも関わらず、 結局はこれほど簡単に砦を崩される。
 しかし、そんなことはもう、どうでもよかった。
 意地を張るより、この胸の中にするほうが、ずっといい。
 呆気なく陥落してしまうほうが、ずっと。













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 真崎さんが描かれたイラストから浮かんだネタです。
 拗ねる三郎が書けて幸せです。ありがとうございます!
 長次にバカと言う三郎が書きたかったのです。




2005.08.29





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