B C P

 










































 三郎は、笑っていた。
 大きな口を開けて、身体をくの字に曲げて。
 その隣では、兵助が何かを言っている。
 彼が何かを言うたびに三郎は笑い、三郎が何かを返す度に、兵助も同じように笑う。
 時折、三郎は兵助の肩を叩いた。
 どうしようもなく、面白いらしい。
 そんなふたりを、長次は窓から眺めていた。
 それほどまでに笑うふたりを見たのは、幾度目であっただろうか。










 放課後。
 三郎はいつものように、長次の隣に座っていた。 先刻、腹が痛くなるほど笑っていた彼も、今はおとなしく本を読んでいる。
 長次は、あのような彼の笑顔を見たことがなかった。
 だからこそ、何か、面白いことを言ってみようとも考える。
 しかしながら、意図的に面白いことを話せる性格でも、ない。
「先輩、面白いですよ」
 唐突に、三郎がそんなことを言う。
 長次は眉だけを寄せて首を傾げた。
「この本です。けっこう、面白い」
 そう言う三郎は笑っていた。
 だが、長次が求めているものでは、なく。











 わたしといることで、きみの笑顔までもが、消えてしまったら。

 そうしたら、・・・どうすればいいと、いうのだろうか。

 きみの笑顔を、なにも引き出すことができぬわたしは。










「これ、借ります」
 目の前に現れたのは、久々地兵助であった。
 長次が無意識に、羨んでいる、その男。
 長次は黙ったまま本を受け取り、カードを探し出した。
「久々地、声でかいって」
「そうかな?は組のあいつよりマシだと思うけど」
「あー、あいつな。いっつも隣から声聴こえるよなぁ」
「笑えるよな。この間も面白いこと答えてたし」
 声を殺しながら、ふたりはくっくと笑う。それは当然、隣で仕事をしている 男には解らない類の話題である。
 長次は無言で、兵助に本を突き出した。
 ずいと渡され、兵助も慌ててそれを受け取る。
「ありがとうございます」
「じゃあな」
「うん。あ、あとでノート見せてもらいに行く」
「またかよ」
 三郎は、笑う。
 兵助も、笑う。
 しかし長次の心は、ひどく冷たく。










「先輩・・・、どうかしたんですか?」
 それは、数日の後に、三郎に問われた言葉であった。
 長次は小さく首を傾げ、なにがだ、と問い返す。
 三郎は、どこか言いにくげに目を伏せた。
「なんか・・・、久々地に対して、変だから・・・」
 冷たくしてるように、見えるん、です。
 言われ、長次の心の奥が、ひとつ音を立てる。
 彼もまた、同じように目を伏せた。
「・・・そうか?」
「は、い・・・」
 自信なさげに、それでもはっきりと、三郎は言い切った。
 伏せていた目は上げられ、どこか不安げな色を映し出す。
 その色を見た瞬間、長次はひどく後悔をした。
 自分の妬みから生まれた兵助への行動が、彼にこのような表情をさせている。その事実。
 彼はひとつ、覚悟という名の呼吸をした。
「・・・久々地に・・・、嫉妬を・・・、していた」
「・・・・・・え?」
 しばらく間を置き、三郎は驚いたように、なんでですかと問うた。
 長次もまた、ひどく言いにくそうに眉を寄せる。
「あいつは・・・、鉢屋を笑わせられるから・・・」
 おれよりも、ずっと楽しそうに、鉢屋を笑わせられる。
 おれにはそんなこと、できないから・・・。
「・・・妬んで、しまった」










 長次の言葉に、三郎はしばらく沈黙した。
 先刻と同じように、驚いたような顔。
 しかし、それは不意に、苦笑に変わった。
「そんな、・・・そんなこと、考えてたんですか?」
 そんなことと言われ、長次はむっとする。
 だが、反論もできなかった。
 三郎は図書室に誰もいないことを確認すると、静かに、机の上に 置かれている長次の手に触れた。
「俺は、久々地といると、すごく楽しいです」
「・・・・・・」
「先輩といるときは・・・、しあわせなんです」
 面白い冗談なんかなくても、言葉なんかなくても。
 言い、三郎ははにかんだように、笑った。
 長次の中で、またひとつ、音がする。
 忘れそうになっていたものが、再びはっきりと、姿を現した。





 そうだ。
 きみは、何も言わず、笑うことも下手な私の傍に、いつもいた。
 そして、それでも・・・すきなのだと。
 言ってくれた。
 幾度も。





 幾度も。










 良かった、と、言う代わりに少しだけ強く、手を握り返す。
 そのときの三郎が本当に幸福そうに笑うものだから。
 長次はどうしても、彼を抱き寄せようとする自分の腕を、止めることができなかった。













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 基本は、長次にシカトとかされて「なんで!?」と狼狽する久々地を 書きたかったのですが、やっぱり長鉢がメインになりました。




2005.08.21





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