B C P

 









 































 満月の晩である。
 月夜を見上げ、仙蔵はかすかに息をついた。
 柔らかな吐息が、冷たい空気に溶けてゆく。
 彼は明るすぎる月を見上げ、木の下にしゃがんだ。
 その傍では、長次が小さくなった焚き火を消していた。
「やはり、満月はやりにくいな」
「・・・・・・ああ」
 仙蔵の言葉に、長次はいつものように愛想のない答えを返す。
 だが、それは常よりもさらに静かな声であった。
 仙蔵は膝を抱え、そんな男に笑う。
「どうした?長期の野外訓練に疲れたか?」
 灰をつつく手が、それを肯定するかのように弱く動く。
 そんな彼に、仙蔵は遠慮もなく溜息をついた。
「おいおい。しっかりしてくれ」
 あと3日も残ってるのに、お前がそんなじゃ。
 言われても、長次はただ頷くだけである。 どこまで理解をしているのか、仙蔵には解らない。
 しかし、ペアの相手がこれでは、話にならない。ひとりの失敗は、互いの失敗ということになる。 それが、この訓練では常識のルールだ。
「・・・・・・かさつく」
「・・・は?」
 突然の長次の声は、訓練中と言えども小さすぎた。
 僅かに膝で相手ににじり寄ると、仙蔵は首を傾げる。
「なにが、かさつくって?」
「・・・わからない」
 呟いて、長次は顔を伏せた。
 その声も、態度も、本当に解っていないようである。
 仙蔵は心底困ったように、竹筒を取り出す。
「水なら、今日汲んできたものがあるが・・・」
「・・・違うんだ」
「何が」
 かさつくって、言ったじゃないか。
 そんな言葉も届かないように、長次はぼんやりと空を見上げる。
 広げた手のひらも、身体も、足も、顔も、髪の先も・・・、心も。
 全てから水分が失われてゆく心地に、長次は眉を寄せる。
 痛いのではない。
 痛みがあるとしたら、乾燥し、ひび割れる瞬間。
 ふたたびきつく指を握り、長次は満月から目を逸らした。










 川を飲み尽くすほどの水飲み、やっと気付いた。
 この乾きは、こんなものではどうにもならないのだと。










「なぁ雷蔵、今、あのへんの森って、6年生がいるんだっけ?」
 足を止めた相手に合わせ、呼ばれた雷蔵も立ち止まる。
 高く生い茂るきび畑の向こう側に、深く暗い森が見えた。どこか、遠くまで広がり、 山に続いているらしいその森は、その深さと暗さ故、近所の人間でも 入ろうとはしない場所だ。
 雷蔵は目の上に手のひらを当てて、それを見つめた。
「確か、そうだよ。裏々山だと、もう長期訓練には向かないみたい」
 地形とか、把握してる人いるみたいだから。
 その言葉を雷蔵が言い終わらないうちに。
 三郎はきび畑へ潜り込もうとしていた。
「ちょっ・・・、三郎!?」
「少しだけ、覗いてみようぜ」
「だめだよ、訓練の邪魔しちゃ!」
「いいだろ、少しだけ。本当にさわりだけ」
 なんのさわりなのか、と、雷蔵は内心呟く。
 ここまで言い出した三郎は、引き下がらない。諦めたように、雷蔵もまた、 彼の後を追いかけた。















 水の声が、聴こえる。















 突然逆走を始めた長次に、仙蔵は柄でもなく狼狽した。
 彼が向かっている方向は、明らかに森の出口である。
「長次!どうしたんだ!」
 既に数本前の枝に飛び移っている男に、叫んでみる。
 だが、予想通り、返事はない。
 それでも仕方なく、仙蔵は後について走り続けた。
 やがて昼間でも夕刻のような森に、光が見え始める。
 確かに、出口に近づいているようであった。





「・・・驚いた」
 仙蔵は枝の上で立ち止まり、幹に手を添える。
 突然地面に降り立った長次の視線の先には、確かに。
「長次先輩!」
 仙蔵はふっと苦笑した。
 心底驚いたような三郎は、長次の腕にきつくかき抱かれる。
 ただ息もできない程の力に、三郎は戸惑うばかり。
 大きな手のひらが、彼の後頭部を撫でる。
 三郎は目を閉じて、長次の鼓動を聴いていた。
 どれほど長い間そうしていただろうか。 長次はようやく、彼を腕から解いた。それでも、相手の両手をしっかりと握ったまま。
「・・・乾いていた」
 そんな脈絡のない言葉にも、三郎は笑った。
「今もですか?」
 目を眇め、長次は首を左右に振る。
 ひどく安堵したように。
 ・・・満たされたように。










 仙蔵は、ふたりを見下ろしたまま、思ってしまった。
 もし水がなくなってしまったら、自分は生きてはゆけぬ。
 それでも長次は。
 いや、ふたりは。
 互いがいれば生きてゆけるのではないだろうか、と。








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 三郎欠乏症の長次。




2005.08.13





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