B C P

 













































 他人の成長を止めてしまいたいと思ったのは、長次にとって初めての感覚であった。そして、 そんな考えを抱く自分に驚き、しばらくして、そう感じるのも仕方ないと諦める。
 目の前で、三郎は目を伏せて教科書を開いていた。





 贔屓目だと言われたら、それで終わりのような感覚。
 長次は、今の自分が客観的に物事を見ることができないと解っていた。三郎の変化に対して、 敏感になりすぎている。
 変化。
 そう、彼が、日に日に人として美しくなる変化。
 それを感じたのは、初めてではない。仙蔵などは、それが最も顕著に現れていたのではないだろうか。 少なくとも、長く時を過ごしてきた長次にはそう感じられた。
 だが、その時はその変化を止めたいなどとは思わなかった。
 人は変わるものだな、と、客観的に見ていたのだから。
(どうしてしまったんだ、俺は)
 ひどく不安だった。
 自分以外の誰かが、三郎という少年の存在が持つ光に気付いたらと思うと、 それだけで心は震えた。
 だから、これ以上、輝かないでほしい。
 おれだけが気付いている程度の光で、いい。
 そんな思考に、長次は眩暈を感じた。
(おれは、時間までもを、束縛したいのか)
 美しくなりゆくものの、時間すら。





 先輩、と、三郎は名を呼んだ。
 その目は普段彼が見せることのない、微かな媚びと甘えを含んでいる。気の 強そうな目がそういう色を見せる度に、長次は眼球ごと意識を射られてしまった。
「今日、先輩の部屋に遊びに行ってもいいですか?」
「・・・ああ、勿論」
 けど、と、長次は繋げる。
「いつもこうして図書室で会っているのに?」
 微かに目を伏せて、三郎は教科書の端をいじる。拗ねたように口唇を尖らせて、彼は 眉を寄せた。
「だって、・・・最近、ふたりきりになれてないから・・・」
 小声でそう呟き、彼は教科書を見つめている。
 彼の言うとおり、図書室は常に誰かがいた。恋人同士という会話や行動をすることも無理だった。
 身体が触れることなど、当然なく。
 だからだろうか。長次が三郎の変化を感じるのは。
 彼が思考をめぐらせている間に、三郎は目だけを上げて相手を見つめていた。 不安げに、困ったように、彼は薄く口唇を開き、再び閉じる。
 そんな仕草を、長次は久しぶりに見た。最後に見たのは、三郎がまだ、長次に片恋をしていた頃だ。 正確な言葉を必死で選んでいるときの、その空気。
「せ、先輩は・・・、別に、ふたりになんか、なりたくないかもしれないですけど・・・、・・・、でも、おれは・・・・・・」
 限界だというように言葉を切った三郎の指に、長次は反射的に触れていた。三郎の 左手に、長次の人差し指が重なる。
 一瞬で耳までを赤くして、三郎は目を見開いた。
 触れ合う手を隠すように、長次はその手を机の下に隠した。音もなく、その指は絡む。全ての 熱が、そこに集まっていた。





 図書室から最後の1人が出た瞬間。
 長次は触れていた指ごと、三郎を抱き寄せる。その唐突さと勢いに、三郎の身体は 骨組みを抜かれた人形のような動きをした。
 声を出すこともままならず、三郎は抱きすくめられる。
 静寂そのものである長次のこのような行動に、三郎はいつも狼狽させられる。そして、 呼吸もできないほど、動悸は激しくなる。
「せ、先輩・・・?」
 息苦しさの中、三郎はなんとか呼びかける。
「・・・鉢屋・・・」
 その力とは裏腹に、長次の声は静けさを保ったままだった。静かに、息だけで、 彼は囁く。
「・・・誰のものにも、なるな」
 その言葉に、三郎は返事をすることも、頷くこともせず、ただ長次の腕の中で俯いていた。 先刻のように、頬だけではなく耳までを赤くして、三郎は相手の襟元を 強く握っている。
 あまりの沈黙の長さに、長次が何かを言おうとしたとき。
 三郎の震える声が発された。
「・・・や、やばいです・・・」
 どうしよう。やばい。
 そう繰り返して、三郎は長次の胸に強く顔を寄せた。
「嬉しすぎる」
 うれしすぎて、おかしくなる。










 ・・・時を止めたいと、彼はもう思わない。
 いくらでも、輝けばいい。
 それは全て、自分のものであるから。










 そんな、確信のない確信。








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2005.04.28





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