B C P

 








































「三郎、大丈夫?」
 冷たく感じる手のひらが、三郎の額に触れる。
 薄く目を開けて、彼は相手を見上げた。
 雷蔵が、同情するように自分を見下ろしている。
「・・・らいぞう」
 彼が同情しているのは、三郎が熱を出してしまったことではない。三郎にとって傍にいてほしい人が、 その晩にはいないということ。
 目を眇めたまま、雷蔵は小さく微笑む。
「・・・明後日の朝には、長次先輩も帰ってくるよ」
「・・・・・・、そんなの、知ってる・・・・・・」
 知っている。
 だから、それが、いやなんだ。
 今このときに、いてくれないのが。
 そんなことを望む自分が嫌で、三郎は下口唇を噛む。
「三郎・・・」
「なぁ、俺、わかってるんだよ・・・」
「・・・なにを?」
 虚ろな目を見つめて、雷蔵は問い返す。
「俺、ものすごい、我儘なんだ・・・」
「・・・・・」
「野外訓練なんかさぼればいいじゃん、とか、考える」
 そんな、自分勝手なやつなんだ。
「・・・・・・どうして、そう、言わなかったの」
「・・・・・・」
「あのとき、長次先輩に」
 自嘲して、三郎は布団を頭まで被る。
「・・・どうせ俺は、臆病だ」
 臆病で、『良い子』だ。










 数時間前。










 長い指が、三郎の頬を静かに撫でた。
 そうして、肩膝を立てる。
 その動きで、三郎は別れの時間を知った。
「・・・鉢屋・・・、もう、行かないといけない」
「はい・・・」
「・・・・・・すまない」
 何に対して彼が謝っているのか、三郎はすぐに理解した。
 傍にいてやれないことに、だろう。
 それなら、謝るぐらいなら、いればいいのに。
 そんな思考を振り払うように、彼は力ない微笑みを返す。
「おれは、平気です」
「・・・・・・」
「気をつけて、ください」
 その言葉に何も返さず、長次は三郎の額に乗っている手ぬぐいを取り替える。そうして、 再び彼の頬に触れ、何も言わずに部屋を出た。
 あとに残された三郎は、自分に辟易するばかり。
 自分の、あまりにも「良い子」であることに。
 そんなことを演じ、仮面を被り続けることに。










 これも、変装って言うんだっけ?










 夜明け、三郎はひとり、床の中で瞳を開いた。
 人の気配に、彼は静かに眼球のみを動かす。
 薄く開かれた襖の向こうに、兵助が立っていた。
 ほの暗い中で、その姿だけが浮き立っている。
 小さく肩で息をしながら、彼はじっと三郎を見つめていた。
「・・・久々地?」
 相手を呼び、三郎は肘だけで身を起こした。
 その動きを、兵助の右手が制する。
「・・・起きなくていい」
 そう言った声は、長次のものであった。
 三郎は、戸惑ったまま身体を起こす。熱のせいか、正しい判断が出来ないままでいた。
「・・・久々地じゃ、ないのか」
 常ならば、相手の変装を見破ることなど簡単なはずであるのに、その時の 三郎にはそれが困難であった。熱のせいだけではない。来るはずのない人間が、 ここにいる。
 隣で眠る雷蔵を起こさぬように、長次は三郎に歩み寄る。
 そして変装を解き、困ったように首を傾げている三郎の額に触れた。夜気のせいか、 冷たい手のひらであった。
「・・・まだ、熱があるな」
「・・・・・・」
「鉢屋?」
 熱にうかされた目が、長次を見上げている。
 そのまま彼の指は、長次の袖を握った。
 何も言わずに、強く。
「・・・どうした」
 その手を握り、長次は解らぬほど小さく微笑む。
 途端、三郎は糸が切れたように彼の胸に縋りついた。
「鉢屋」
 長次は驚きを顔に出さずに、彼の背中に腕を回す。
 病人であるにも関わらず、三郎の力は強かった。
「なんで・・・、訓練なんか、行っちゃったんですか・・・っ」
「・・・・・」
 擦れた声が、非難を含んだ色で長次を責める。
 あふれ出した言葉を止めることも出来ずに、三郎は続けた。
「なんで、いてくれなかったんですか・・・」
「・・・・・・鉢屋」
「いてくれないと、いやだ・・・・・・」
「・・・・・・」
「いやなんです・・・」
 嗚咽と憤りが混じった言葉に、長次は沈黙を守る。
 ただ、相手の背中を撫でながら、じっと。
 そうして、しばらくの時間が過ぎた頃。
「・・・良かった。鉢屋が・・・、そう言ってくれて」
「・・・え?」
 驚くように、三郎は顔を上げた。
 彼は覚悟をしていた。
 これほど自分勝手なことを言って、呆れられているだろう、と。
 いや、もしかしたら嫌悪感すら持たれているかもしれない。
 そんなことを、彼は沈黙の間に考えていた。
「そう言うことが我儘になると、考えていただろう?」
「・・・・・・それは・・・、そう、ですけど・・・」
「我儘でいいさ・・・」
「で、でも、先輩が・・・、困る・・・」
 弁解でもするように、三郎は慌てていた。
 だが、それもまた「遠慮」という名の我慢だと気付く。
 彼は戸惑いながらも、相手を見上げる。
「・・・本当に、俺、我儘でいてもいいんですか・・・?」
 問われた長次は、柔らかく三郎を抱き寄せた。
 耳元に口唇が触れる。
 空気のような静かな言葉に、三郎の身体は震えた。





「それが鉢屋の望むものなら、与えて、やるから」








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2005.04.27





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