B C P

 










































 ふたりは黙ったまま。
 手を差し出すこともなく。
 言葉をかけることもなく。
 動くこともなく。
 しかし、互いの空気を貪るような、沈黙。





「三郎は、本当に長次先輩が好きなんだね」
 雷蔵の素直な言葉に、三郎もまた、素直に頷いた。
 好きだという簡単な言葉以外に、当て嵌まるものはなかった。
 いや、探せば見つかるのかもしれない。
 だが、あまりにも透明な感情に、難解な言葉は不釣合いであった。
「長次先輩も、三郎のことが好きなんだね」
「・・・・・・」
「・・・三郎?」
 当然のように、雷蔵に言われた言葉に、三郎は返事ができない。
(そう、なんだろうか)
 そんな疑問が一瞬、胸をよぎる。
 よぎったが最後、三郎は不安という感情を抑えきれなくなった。
 好きだという言葉を言われたことは、ない。
 ただいつも、黙ったままの逢瀬。
 ・・・愛されているのだろうか?
 そんな、単純すぎる疑問にすら、三郎は答えを見出せない。
(あのひとは、多くを喋らないから・・・)
 だから、こんなことをいちいち不安だと思っていては、いけない。
 それなのに、どうして今日は、こんなにも・・・。
「・・・三郎、僕、余計なこと言ったかな?」
「ち、ちがうよ雷蔵。・・・・・・、違うんだ、よ・・・」





 ちがうんだよ。





 時に、言葉を怖れていたのかもしれない。
 それが必要ないと言いながら、同時に縛られることを。
 だから、
 触れるしかなかった。
「・・・・・・鉢屋?」
 何も言わずに、三郎は机の上にある長次の手を握る。
 そこに力はなく、ただ、果てしない情愛のみが含まれていた。
「・・・どうしたんだ」
「・・・なんと、なく」
 なんとなく、と言いながら、三郎は困ったように微笑んだ。
 その微笑みの裏に隠された不安に気付かぬほど、長次は残酷ではない。だからといって、 それが何なのかを知ることは、できない。
 そして、長次もまた、言葉に縛られている人間だった。
 互いに「言葉がなくとも」と思いつつも、時にそれの必要性に束縛される。それ自体が、 2人を苦しめる要因なのかもしれなかった。
「・・・おれは・・・」
「・・・・・・ん?」
 穏やかな長次の声に、三郎は息を詰まらせる。
 既に、不安を隠すことは無理であった。
 微笑みはいつしか、苦笑に変わる。
「おれは・・・、どうしようもないんです・・・」
「・・・・・・」
「・・・どうしようもないぐらい、先輩が、好きなんです・・・」
 そこまで言った三郎は、耐え切れぬように長次の手を離す。
 彼の手が離れた部分に触れる空気が冷たく、長次は戸惑った。
 俯いてしまった横顔は、その感覚よりも冷たい。
「・・・鉢屋」
 なぜ、
 なぜ、そう言うのに、それほど苦しそうな顔をする?
 ・・・そう問えぬ自分を、長次は責める。
 だから、だから、触れた。
 冷気に耐えるような、三郎の頬に、そっと。
「・・・先輩」
 慄くように上げられた目に、長次が映った。
「・・・先輩は、おれのことが、好きですか?」





 好きだと、言って、くれますか?





「おれは・・・・・・」
 不意に、長次の手が三郎の頬から離れた。
 戸惑いを含む沈黙が、三郎をさらに締め上げる。
 迷うほどに、不安というものは増してゆく。
 いつしか三郎は、判決を下される罪人のように青ざめていた。





 言葉に頼る力を、長次は持っていなかった。
 だが、今は、それがどうしても必要で。
 何かを言わなければ、三郎を壊してしまう。
 この感情を、言葉にしなければ、三郎は。





「好き、じゃ、ない・・・・・・」
 その言葉が空気を震わせ、三郎の鼓膜まで到達したとき。
 三郎の時間が、凍りついた。
 それに気付いた長次は、その氷を溶かさねばならない。
 与えた以上に熱を持つ言葉で。
「・・・好きとは、違うんだ・・・」
「・・・・・・、・・・・・・でも・・・・・・」
 長次は、泣きそうになる三郎の腕を掴む。
 あまりのもどかしさに、そうすることしかできなかった。
 言葉を選ぶ時間を繋ぐためには、そうするしか。
「・・・俺は、うまく言えないが・・・」
 それは、好きとか、そういうものではなくて、
 もっと、ずっと深く、透明で、
 湧き水のような、そんな、感情。
「・・・・・・いとおしい・・・・・・」
 愛しい。
 それは、長次が見つけ出した言葉。
 三郎を救うための、言葉。
「・・・・・・先輩」
 今度は、何かを言おうとした三郎が沈黙した。
 だが、もう、2人にそれ以上の言葉は必要なかった。
 縋りつく腕が、長次の背中に回される。
 自分に凭れる身体を抱き締めて、長次は目を閉じた。
 ああ。
 このやり場のない愛を。
 これほどまでの愛を、言葉にするのは、なんと疲れることか。
 それほどまでに愛せる人間がいるということは、




 なんと幸福なことか。





 きつく、きつく、ひどく優しく、長次の腕は三郎をかき抱く。
 それだけで、三郎はどれほどをも救われた。
 与えられた言葉以上に、愛される幸福を知る。





 目を閉じても、耳を塞いでも、口を開かずとも、





 この愛を知ることは、できる。





 この愛が見えなくなることは、ない。





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 言不尽意
 げんはいをつくさず。
 言葉は、心に思っていることを言い尽くさない。
 という意味の漢文です。
 それ以外のタイトルが浮かびませんでした。




2005.04.03





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