音なき抱擁

















 愛を語る人ではない。
 言葉を知らない人ではないが、それを使うことをしない。
 使わずとも語れることを、知っているから。










 ふと横を見ると、相手もまた、自分を見ていることに気付く。
 三郎は、照れたように、困ったように、小さく笑う。
「どうか、しましたか」
「・・・いや」
 長次もまた、解るか解らないかの笑みを作る。
 ほんの僅かに動いただけの表情を読み取ることに、三郎は慣れていた。どれほど僅かな 変化すらも見逃さないことが、変装には必要だ。
 そんな自分の能力に、今は感謝をしていた。
「・・・先輩」
「なんだ」
「・・・・・・、いえ、なんでもないです」
 小さく頭を振り、三郎は再び読みかけの書物に向かう。
 長次に問いたいことが、自分でも解らなかった。
 三郎の気持ちを知ったときも、長次の行動に変化はなかった。そして、相思相愛になったはずの、 今でも。
(・・・わからない)
 あの時の言葉は、幻聴だったのだろうか。
 ただ、自分のいいように解釈してしまっただけだろうか。
 だとしたら、あれほど残酷な言葉はないだろう。
 あれから1週間。長次は三郎の髪の毛一筋にも触れていない。
(ひとつ、変化があるなら)
 気付くと、音もなく見つめられている。
 いや、見つめられる行為に音などは存在していないことは解っている。だが、長次の 視線はあまりにも静かで、三郎はその静けさのあまり、気付かない。気付くことが、できない。
 それが愛だとしたら、あまりにも静かすぎて。
(触れられてほしいなんて、傲慢だ)
 人は、いつまでも高望みをしてゆく。
 ひとつ満たされれば、次。それが叶えば、さらに次のものを。そうしてどんどん欲しがってゆくのは、 三郎にとって恐怖だった。
 愛されるだけで幸福だと、思いたかった。










 帰り道。
 長屋に着いた三郎は部屋が近くなると、長次に頭を下げた。
 いつも、同じ場所での別れだった。
「また、明日、図書室に行きます」
「・・・ああ」
 顔を上げて、微笑んで、三郎は歩き始める。
 3歩。
 そして、4歩目を踏み出そうとした時。
 鈍ければ気付かないほどの抱擁に、三郎の足は止まる。
 彼を抱き締めたその影は、相変わらず何も言わない。
 三郎は首だけで振り向き、小さく笑った。
「・・・先輩は、いい忍者になれますね」
「・・・・・・そうか?」
「風みたいです。いつも、何をするにも、静かで」
「・・・・・・」
「静かすぎて・・・、不安に、なります」
 今、俺が歩き出したとき、何を考えてたか、解りますか?
 俺が背を向けたときにはもう、先輩も同じように、俺に背を向けて歩き出しているんだと 思っていました。
 いつも、みたいに。
「・・・・・・鉢屋」
「はい・・・」
「俺がいつも、そうしていると思っていたのか」
「え?」
 長次の眼が、また、僅かに動く。
 それは、苦笑という名の表情だった。
「・・・いつも、見ていた」
 おまえが廊下の角に消えるまで、ずっと。
「・・・・・・言うつもりじゃ、なかったが」
「・・・そんな、じゃあ・・・」
 三郎は困ったように眉を寄せる。
 自分の勘違いが、申し訳なかった。
 それなのに、ただ、望むばかりで。
「・・・すみません」
「なぜ謝る?」
「俺・・・、何も知らなかった・・・」
 左右に首を振り、長次は彼の頭を撫でる。
 その触れ方もまた、ひどく静かだった。
「・・・構わないさ」
 愛は、与えるものだろう。
「え・・・」
「そう教えてくれたのは、鉢屋だ」
 ひたすら、何も求めずに愛すること。
 それが至上の愛だということを、おまえが、教えてくれた。
「でも俺は・・・今は、もう、それだけじゃだめになってます・・・」
「・・・・・・それでいいさ。・・・今度は俺が、与えればいい」
 呟くように言い、長次は再び三郎を抱き寄せる。
 その胸の香りに、三郎は目を閉じた。
「じゃあ先輩・・・、ひとつ、お願いしてもいいですか」
「・・・なんだ?」
 三郎は、長次の背中に腕を回す。
 どれほどをも望んだ、その背中に。
「・・・・・・もう少しだけ、強く抱き締めてくれませんか・・・」
 壊してほしいなんて、まだ、望まない。
 望まないから、もう少しだけ、強く。










 そして与えられた腕の強さに、三郎は朦朧とした。

















2005.02.25









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