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 きっと、何も知らない。
 何も気付いていない。
 このひとは、私の想いなんて、何も。
 けれど、それでいい。
 それでいい。










 今しがた返ってきた、数学のテストの点数は、98点。
 まあ、こんなものか、と、喜八郎はそれをふたつに折る。
 だが、それを後ろから見ているものがいた。
「また98点?」
 滝夜叉丸だ。
 見せびらかすように、彼は自分の答案用紙を喜八郎の目の前に出す。
 丸で埋められた、100点満点の答案だ。
「滝、また100点?さっきの英語も満点だったよね。すごい」
「おまえは、さっきの英語も98点だったな」
 あいかわらずなんだから。
 と、滝夜叉丸は喜八郎の手から答案を奪う。
 減点されているのは、簡単な計算ミスのせいである。
 滝夜叉丸は、やっぱり、という顔をした。
「お前は、いつも詰めが甘い」
「・・・そうかな」
「英語だって、中学生レベルのスペルミスだったじゃないか」
「・・・そうだね」
 ぼんやりとした返事に、滝夜叉丸は苛々した。
「綾部は、欲がなさすぎる。せっかく成績がいいのに」
 言われても、喜八郎は首をかしげるばかりだ。
 98点ならば充分ではないか、と、その顔が言う。
 その透けた思考を呼んだ滝夜叉丸は喜八郎の額を指で弾く。
「いたっ!」
「98点ばかりで満足するな!」
 これで充分、これで満足、なんて、甘えだ。
 その滝夜叉丸の言葉は、完璧主義の彼らしい台詞だ。
 満点でなければ、1番でなければ、気が済まない彼。
 喜八郎は、自分が非難されているにも関わらず、滝夜叉丸のそのようなところに 感心し、同時に尊敬もする。
「滝はすごいなぁ」
「感心するんじゃなくて、お前は詰めが甘いって言ってるんだ!」
 最後の最後まで押せないんだろ。
 最後だけ手を緩めて、まあいいかって、妥協してるんだろ。
「そんなんじゃ、いつまでも満点なんか無理だ」
 呆れたように言い捨て、滝夜叉丸は自分の席に座りなおす。
 彼の持っているクリアファイルには、満点の答案用紙ばかりが詰まっている。滝夜叉丸が、 人の知らぬところで努力をした結果のものたち。
 喜八郎は、もう1度、自分の答案を見つめなおした。










 これでいい、と、妥協をしてきた。
 彼の言うとおり、最後の最後で、手を緩めてきた。
 それは、テストだけではない。
 それだけではなく・・・。










「お前、生徒会長のくせに、この点数はなんだ?」
 静かだが、まるで地獄の底から響くような声。
 それは、前任の生徒会長の潮江文次郎であった。
 目の前では、床に正座をしている兵助の姿。
 喜八郎は、動くこともできずにそれを凝視した。
「す、すみません・・・」
「国語は100点で、数学が50点とは・・・」
「あ、でも、赤点じゃないんですよ?」
「バカタレ!そういう問題じゃない!」
 耳をつんざくような怒声に、喜八郎は思わず耳に手のひらを当てる。
 文次郎の手の中にあるのは答案用紙の数々だ。
 どうやら、兵助は点数について説教を喰らっているらしい。
 まるで、古い家庭の、頑固親父と馬鹿息子のような光景だ。
 兵助はすっかり縮み上がっている。
「生徒会長たるもの、生徒の規範とならねばならんのだ!生徒会の仕事をこなし、 学校をまとめ、勉学にも励まなければ生徒会長とは言えん!」
「は、はい・・・」
「返事は大きく!」
「はいっ!」
 それから数分、文次郎は生徒会長がどうあるべきか、ということを滔々と述べ、 30分という時間を費やした。
 その間、兵助は「はい」と「すみません」しか言っていない。喜八郎に至っては、 微動だにすることもできず、ただ立ち尽くしていた。
 文次郎が退室すると、喜八郎はすぐに兵助に駆け寄る。
「先輩、大丈夫ですか、足が痺れたんじゃ・・・」
「・・・うん、全然感覚ない」
 足を伸ばして床に座ったまま、兵助は答案を拾い集める。
 喜八郎もまた、それを手伝った。
「・・・ほんと、かっこ悪いよな、こんな生徒会長」
「そんなことはありません」
「でも、50点も差が開いてるんだもんな、潮江先輩に叱られたって 仕方がないと思うよ」
 ようやく立てるようになったものの、兵助はまだ机に手をついて、顔をしかめている。
「なんかさ、俺、嫌いな科目は手抜いちゃうんだけど、好きな科目は意地になって 『100点とってやる!』と思って勉強しちゃうんだよな」
 うまく配分すればいいのにさ。
 苦笑しながら、兵助はようやっと椅子に座る。
 喜八郎は、集めた答案の中で、国語を1番上にして、机に載せる。
「すごいです。私は・・・、100点なんてひとつもありません」
「そうなの?でも、平均点は俺より高いんだろ?」
 それには答えず、喜八郎は困ったように笑う。
 兵助の姿勢は、きっと、滝が評価するものである。
 好きな科目だけでも、突き詰めて、手を抜かないという姿勢。
 喜八郎は、それを持たない自分を、恥じた。










 兵助との関係に、一歩を踏み出すことができなかった。
 ギリギリまで近づいて、これでいいと、妥協する。
 これで充分じゃないかと、自分に言い聞かせる。
 これ以上踏み込んで、相手を困らせたくないと、そんな理由を作っては 自分を許してきた。
 本当は、ただ、甘えてきただけなのに。
 振られ、性癖を嫌悪されることに、怯えていただけなのに。
 









 最後の一手。
 掴んだ手を緩めず、踏み込む勇気。
 喜八郎は、僅かな希望を、模索する決意をする。












 ものすごい時間が経ってから続きを書いてすみません。
 パラレルは、たまにもやもや考えると楽しいです。



2007.6.8









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