殺されるかと思った

















 ああ、殺されるかと思った。
 喜八郎といると、そう思うことに幾度も遭遇する。
 それも、いつそんな不意打ちを仕掛けてくるか解らないものだから、 兵助は常に心臓を鷲掴みにされる心地でおらねばならない。





***





 紫色の花をがくから抜き取り、喜八郎はしげしげと眺める。
 その行動の意味が解らない兵助は、はてと首を傾げたままそんな彼の横姿を見つめている。
 と。形の良い口唇が、その花を根元から口に含んだのだ。
 ひとつ息を吸い、喜八郎は花を口唇から離して微笑む。
「蜜がありますよ」
 とても嬉しそうに、彼はもうひとつ花を取る。
 久々地先輩もどうですか?なんて問いながら。
 だが、兵助はそれどころではなかった。
 口唇に花を咲かせて笑う喜八郎のその姿に、心を奪われていて。





 ああ、殺されるかと思った。





 喜八郎の一口は、とても小さい。
 何かを大きく頬張るということを、見たことがないように思う。
 いつも小さく口を開けて、それなりに小さくした食べものを口に運ぶ。
 そんな彼の食事を見るのが、兵助には小さな楽しみでもあった。
「綾部、ふろふき大根好きなの?」
 喜八郎は笑ってうなずき、特にゆず味噌が好きなんです、と言う。
 そんな彼の顔が可愛くて、兵助は綺麗に半分だけ残っていた自分のふろふき大根を 喜八郎の皿に移してしまう。
「いいんですか?」
「いいよ。綾部が食べるの見てるの、好きだから」
 とても嬉しそうに笑い、喜八郎はその大根に箸を入れる。丁寧に 小さく割った大根に、少しだけのゆず味噌をつけて、大事そうに口に運ぶ。
「あ、綾部、ここに味噌ついてる」
 口の端を指差して、兵助が教えると。
 喜八郎は指ではなく、赤い舌でそれを舐めるものだから。
「取れました?」
「・・・・・・、・・・あ、うん。取れたよ。取れてる」
 またも心を奪われたまま、兵助は5回ほど頷く。





 ああ、殺されるかと思った。





 喜八郎は、脱衣所で髪を拭いたあと、部屋でもう1度拭く。
 そうしたほうが、乾きが早いのだと言っていたが、それほど 髪に頓着していない兵助は真似したことがない。
「いいお湯でしたよ」
 上気した顔で喜八郎が部屋に現れたとき、兵助は素直に狼狽した。
 なるべく見たくないと思っていた行為を、喜八郎がしてしまうだろうということが 一瞬で理解できたからだ。
 適当に結った髪をほどき、喜八郎が手ぬぐいを髪にあてたとき。
 兵助は自分が息を飲む音まで聴こえた。
 髪を挟むように水分を取る喜八郎は、恐ろしい程――そう、恐ろしいと形容しても間違いではないほど ――婀娜で。
 うなじに張り付いた数本の髪を絡めとる白い指も。
 なぜか気だるそうに見える表情も。
 全てが、兵助の身体の表面に鳥肌を落とすほど美しく。
 彼は膝の上で固く拳を作ったまま、下口唇を噛んだ。





 ああ、殺されるかと思った。

 そう思うとき、兵助は喜八郎に口付けたい衝動に駆られる。
 1度だけ、その衝動を抑えることができなかったことがあった。細い肩を 掴み、何かを奪うように口付けたその後。
 喜八郎は怒りも哀しみもせず、目を伏せて僅かに笑みを見せた。
 嬉しさと恥ずかしさの入り混じった表情に、薄桃色を落として。
 その時、兵助はもう、本当に。
 本当に、それ以上に殺される心地がしてしまって。





 殺される以上に殺されるなら、ただ殺されるほうがましだ。
 そう思うようになったという。





***





 命がいくつあっても足りないよ。三郎にそう漏らしたとき、相手は心底不満そうに、 のろけだろ、と言ったそうな。















 2005.11.26









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