B C P

 










































 裏々山。
 喜八郎はいつものように兵助を待つために、大きな樫の木の下で立ち止まる。そして、 ふと頭上を見上げて、「あ」と声を上げた。
 見たことのある蛇が、枝に巻きついている。
 赤地に、白いまだらの描かれた蛇。
 喜八郎は首をひねる。
 見たことがあるにも関わらず、それをどこで見たのか思い出せない。
(確か、誰かの肩にいつも・・・)
 ぼんやりと、この蛇が誰かの肩に巻きついているのを想像する。次に、その 人間の制服の色が見えてきた。
(そうだ。3年生)
 喜八郎は目を閉じて、さらに記憶を手繰る。
 自分は他人に興味がないと思っていたが、まさかこれ程とは。
 思い出したところで意味などないと解っていても、ここで思考を止めてしまうのは、 ひどく気持ちが悪かった。
(それから・・・、名前があったような・・・)
 赤い蛇は木の枝に巻きついたまま、動こうとしない。
 喜八郎は、「ぜ」とか「が」とか、意味のない言葉を呟き、その名前を思い出そうとする。 濁点のつく名前だったことは、憶えていたのだ。
 そして閃いたように。
 彼は、ぱんと手のひらをあわせた。
「じゅんこ」
 呼ばれ、相手は素直に首を巡らせる。
 瞬間、喜八郎はとても嬉しくなってしまった。
「じゅんこ」
 もう1度呼び、今度は腕を差し出してみる。
 誰だか知らないが、主に巻きついていたように、自分にも同じことをしてくれまいか、と、考えたのである。
 じゅんこは暫く逡巡した後、枝からするりと、身を離した。
 しなやかな身体が、彼の腕に巻きついてゆく。
 喜八郎の胸は高鳴った。
 冷たい鱗の感触は、初めてである。
「いい子だね」
 言い、人差し指でじゅんこの顎を撫ぜる。
 気持ち良さそうに、その蛇は目を細めた。










 兵助は、我が目を疑った。
 樫の木の下では、喜八郎が毒蛇を腕に巻いて、笑っている。
 しかもそれは、3年の孫兵が飼っている「じゅんこ」ではないか。
 彼ははてと首を傾げた。
「綾部」
「久々地先輩、遅いですよ」
「ごめんごめん。掃除が長引いて」
 それより、と、兵助はじゅんこを指差す。
「どうして、ここにいるの?」
「ああ、木の上にいたのです。今頃、探されていると思いますよ」
 そう言いながらも、喜八郎は連れて戻る気はないらしい。
 彼らしいと思いながら、兵助は苦笑した。
 隣に座り、そんなふたりを眺めてみる。
「じゅんこは、とても素直ですよ」
 そう言うと、喜八郎はじゅんこに顔を寄せる。
 赤い舌が、ちろりと彼の頬を舐めた。
 美しい人間と、美しい蛇。
 それは、ひどく婀娜な光景で、兵助は息を飲んだ。
 しかし、そんな時間はどこからか聴こえる声に寄って遮られた。
「じゅんこー!」
 呼ぶ声は、確かに孫兵のものでる。
 彼女はすぐに喜八郎の腕から滑り降りると、声の方向に走り出す。
 振り向くことなく去ってゆく姿に、喜八郎は溜息をついた。
「・・・やっぱり、飼い主がいいんですね」
「寂しいの?」
「別に」
 少しだけですよ。
 つまらなさそうに足を投げ出した喜八郎を、兵助は覗き込む。
 まだ、先刻の光景が目に焼きついていた。
「綾部と蛇、似合ってたよ」
「・・・ほんとうですか?」
「うん。でも、ちょっとあの蛇にも、嫉妬した」
 困ったように笑う兵助を、今度は喜八郎が覗き込む。
「・・・けれど、あの子は私から離れてしまいました」
 言うと同時に、喜八郎は地面に手をついたまま、顔を寄せる。
 兵助が身を引くことに同時もせず、彼はさらに距離を詰めた。
 薄く開かれた口唇に、兵助は草を握り締める。
 そして。
 彼の頬は、ちろりと、舐められる。
 先刻、蛇にされたことと同じように。
「私は、離れません」
 離れません。
 蛇と同じほどの気持ちで、傍に。
 その言葉に、兵助は微かに震えた。
 怖いのではなく、ただ、悦びに。










 もし君が蛇に姿を変えてしまったら。
 私はずっと君を、腕に巻いていよう。
 どこに行くにも、連れてゆこう。
 どんな姿でも、惜しみなく口付けよう。










 そう、心に決めてしまうほどに。








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 突発的に、じゅんこと綾部の話を書きたくなりました。



2005.08.10





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