B C P

 










































 葉月。
 縁側で、何をするともなく、空を眺めていた。
 きみは笑わない。
 笑わずにじっと、おれを見つめている。
 膝を抱えて、その膝に頬を乗せて、じっと。
 その眼に、鼓動は速度を増す。
 何を言って良いのか解らず、おれはあぐらを組みなおす。
 夏の日差しはあまりにも強く、眩しかった。
 それでも汗ひとつかかず、綾部はおれを見つめている。
 身動きひとつせず、そして、
「先輩」
「えっ!?」
 唐突に呼ばれ、声が上ずった。
 綾部は瞬きをひとつする。
「どうして先輩は、自分のことを『私』と言ったり、『俺』と言ったりするのですか」
 今さら、そんなことを問われるとは思わなかった。
 ここで難しいことを言ったら、彼は嫌がるだろうか。
「・・・べつに、使い分けてるわけじゃないけど」
「けど?」
「綾部といるときは、かしこまらなくてもいいか、と、思って」
「かしこまってくださいよ」
「え」
「冗談ですよ」
 笑いもせず、綾部は言い退ける。
 彼の冗談は、冗談というより『嘘』だ。
 まじめに、表情ひとつ変えず、相手に悟らせないように言う。
 それは、軽口などではなく、嘘だ。
 いつもいつもそう思う。
 綾部には、冗談と嘘の境目がない。
「あ、虹」
 綾部の声で、おれは再び空に目をうつす。
 先刻、僅かに降った雨のせいだろう。小さいが、それでもはっきりと弧を描いて、七色の 環が空をまたいでいた。
 そして気付いた。
 綾部は、これだ。
 虹だ。
 全ての感情の境界が曖昧、という意味で。
 虹の色でも、そうだ。色と色との境はひどくぼやけていて、はっきりと 分けることができない。
「きれいですね」
「あ、うん」
 綾部は再び膝に頬を乗せて、おれを見つめていた。
 少しだけ、笑っている。
 両膝を抱えて微笑んでいるその姿を、愛らしいなどと言ったら・・・、彼は機嫌を損ねるだろうか。それでも。
「次に虹が出たら言おうと思っていたんです」
「なにを?」
 おれは、なんの気も留めずにそう尋ねた。
 綾部はやっぱり、いつもと同じ顔をしていて。
「別れましょう、って」
「・・・・・・、・・・・・・、・・・・・・・は?」
 すっと、心の中心に痛みが走る。
 紙の端で指を切ってしまったときのような、痛み。
 おれの顔はきっと、綾部のように固まってしまっていただろう。
「別れましょう」
「やめろよ」
「・・・・・・」
「なんでそういうこと言うんだよ」
 笑えない。
 笑えない冗談だ。
 いや、ちがう。
 だからこれは、冗談なんかじゃない。
「嘘だ」
 おれのほうを向いていた顔が、ゆっくりと正面を向く。そして、さらにゆっくりと、伏せられた。口唇は、 小さく笑っていた。
「・・・なんだ」
 わかってるんじゃ、ないですか。










 巧妙な嘘だ。
 まるで、本当かのように、聴こえる。
 それでも、やっぱり、境目はあった。
 きみは、嘘をつくとき、少しだけ、哀しそうにする。
 きっと自分ではわかっていないだろう。
 そしておれ以外の誰も、わからないだろう。










 冗談を言うときはそんな顔しないのに。





 そんな顔をするぐらいなら、
 ほんの、見えないほど微かにでも痛みを感じるなら、
 そんな嘘、つかなければいいのに。










 ごめんなさい。
 と、綾部が蚊の鳴くような声で呟いた。
 膝の間に顔を埋めている彼が、どんな表情をしているのか、おれには解らない。
 いつもと変わらないのかもしれない。
 けれど、きっと。
 泣きそうになってる。
 それがどうしてなのか、わかっていた。
 嘘でも、互いに痛みしかもたらさない言葉を、言ってしまったから。
「・・・綾部」
 柔らかな髪を撫でて、おれは彼を抱き寄せる。
 困ったような眼が、微かに上げられる。
「・・・そんなこと、しないでください」
「え?」
「変な気が起きそうだから」
「えっ・・・!そ、れは、・・・」
 ふっと息で笑い、綾部はおれの肩に頭を凭れる。
「なに動揺してるんですか」
 冗談ですよ。
 それとも、
「先輩に変な気が起きそうなんですか・・・?」
 寄せられた顔に、おれは自分が赤面するのを感じた。
 綾部の肩に置いた手を、どうして良いか解らない。
 そして綾部は、さっきよりもはっきりと、噴出した。
「なに、動揺してるんですか」
「・・・冗談ですか?」
「冗談ですよ」
 また、だ。
 言葉の網に、まんまとかかってしまう。
「・・・どうしてかなぁ」
 おれの肩に凭れたまま、綾部はひとりごとのように呟いた。
 目を伏せて、口唇だけで笑っている。
「どうして先輩は、こんなに簡単にひっかかるのに、肝心なところでひっかからないんでしょうね」










 可笑しそうに言う綾部は、もう、虹。








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 久々地はわかっていないけれど、結局のところ、綾部は完全に久々地を尻には敷けないのだよ、という話。
 最後の最後で、無意識な久々地に負けてしまう、そんな綾部も好きです。けれど、基本的には オールウェイズ、久々地を尻に敷いていてほしいです笑




2005.07.15





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