B C P

 














































 細い、細い、けもの道。
 喜八郎は途方にくれたように立ち止まっていた。
 彼の足元には、ひとつの物体が存在していた。
 体温も魂も失われ、物体としか呼べなくなってしまったもの。
 それは、山で暮らしていたのだろう、白と黒の猫であった。
 彼は、その猫をよく知っていた。
 海の魚よりも川魚のほうを好んで食べること。
 それよりももっと好きなのは、鳥だ。
 嫌いなものは、土ねずみ。土くさいのだろう。
 その猫は雄で、喜八郎に懐きはしなかった。だが、一定の距離を置くならば、 観察することを許してくれる猫でもあった。
 それが嬉しく、喜八郎は時折彼を見つけると、後を追った。
 泣いてあげたい、と、思った。
 だが、それほどの感情もこの猫には抱いていなかった。
 それが悔しく、喜八郎は下口唇を噛み締める。
 このまま朽ち果てるならば、せめて、土の中に埋葬をしたい。
 そう思っても、喜八郎は手を出せなかった。
 触れるな、と、その猫が言っている気がしたのだ。
 常に一定の距離を保つ関係だったせいだろうか。こうして 間近で見つめることすらも、聖域を侵すような感覚がした。










 その日の夜。
 喜八郎は再びその猫の元に訪れた。
 温かな兵助の手を握ったまま、彼はその猫を見下ろす。
「自然の摂理だってことは解ってるんです」
「・・・うん」
「でも、何かしてやりたいと思うのは・・・、間違いではないですよね?いけないことでは、 ないんですよね?」
 縋るような喜八郎の手を握り返して、兵助は頷く。
 彼は知っていた。喜八郎が、その猫に触れられないことを。
 それは嫌悪などではなく、その猫との約束だったということも。
 だから兵助は、その猫を静かに抱き上げた。
「・・・冷たいですか」
「うん・・・」
「・・・固いですか」
「うん・・・そうかな・・・」
 兵助は静かに、その猫を再び土に寝かせた。
 硬直した身体は、動かしても原型を留めている。
 2人は学園から持ってきた鍬で、地面を掘り返した。
 喜八郎は単純なその作業を繰り返しながら、少し、笑う。
「不謹慎かもしれないけれど・・・、今、幸せです」
「なにが?」
 微笑む兵助に、喜八郎は首を曲げた。
「だって、こんなことを一緒にしてくれる人がいるんですから」
 夜、墓を掘るなんてこと、誰にも頼めないですから。
「だから、おかしいかもしれないけれど・・・」
「・・・・・・なぁ、綾部」
「はい」
 喜八郎は手を休めて、兵助を見つめた。
「哀しい、か?」
「・・・・・・はい」
「そっか・・・」
 喜八郎の返事に満足したように、兵助は微笑む。
「綾部が哀しいと思うときに、一緒に居られて、よかった」
「・・・・・・こんなことしてても、ですか?」
「うん・・・、だってさ、哀しみを共有できるって、幸せだと、思うんだよ。 綾部が哀しいときに、傍にいたいと、おれは思うから」
 暗闇で、兵助の顔ははっきりと解らない。
 だが、喜八郎は解っていた。
 彼は、目を伏せて、いつものように微笑んでいるだろう。
 喜八郎がただ正直に甘えられる、そのかおで。










 兵助は、再び猫を持ち上げる。
 彼がひんやりとした土に寝かせられると、喜八郎はそれを見下ろしながら 呟いた。
「私は・・・、先輩の死に際に傍にいられるでしょうか・・・」
「・・・・・・」
「先輩がひとりで死んでゆくのは、かわいそうです・・・」
 猫に土をかけながら、喜八郎は掠れた声で呟いた。
 兵助もまた、彼の表情はわからない。
 だが、きっとかれは・・・、泣いているだろう。
 猫に対して?
 できないかもしれない哀しみの共有に対して?
 ・・・それは、兵助にも解らない。
 どちらであっても、彼にできることはひとつしかなかった。
 つつましい抱擁。
 背後からの温もりに、喜八郎は微かな息を漏らす。
 安心したように、彼は最後の一振りの土をかけることができた。








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2005.05.07





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