思考回路の切断

















 草の上で、君は可笑しそうに笑っている。
 何がおかしいのか、それを問うまでもなく。





 俺は知っていた。
 同じクラスのある奴が、綾部に近づこうとしていることを。
 俺には気付かれないように、時たまあいつに接触していること。
 恋心なのか、ただの下心なのか、そんなことまで知らなかったが、俺にとって 良い気持ちのすることでもない。
 放っておけるほど、大人でも、ない。


「いいよな、ああいうタイプ」
 そんな会話が、耳に入る。
 それが誰を指すのかは、すぐに理解できた。綾部だ。
「純情そうだし」
 純情?綾部が?
 まさか。
 あいつは、けっこうなしたたか者だ。
 それを知らないなんて、大したことない。
「触った?」
「何回か。でも、ガード固いな」
 俺はじっと、テキストを見つめ続ける。心の水面が波立つのを 必死で堪えるように、ただ、無心になる努力をする。だが、 そんな 我慢がいったいどこまで持つというのだろうか。
(・・・触った?何回?)
 いつ、どこを、どのように。
 綾部のことだ。うまくかわしているのだろう。
 だが・・・、それでも・・・。
(むかつく)
 綺麗な言葉ではなかったが、それ以外に俺の心を表現する 言葉などなかった。時に文語的な言葉よりも、口語のほうが 的確な心情を表現できるものだ。なんてことを考える、 冷静な自分にも驚く。
 そんなことより、あいつ。
 あの男。
 一体いつ、綾部に。





 裏山。大きな樫の木の下に、綾部は座っている。彼は俺を見つけると、読みかけの 書物を閉じて微笑んだ。
「なんだか、機嫌が悪いようですね」
 しれっとした声で、綾部が言う。
 俺は黙って、彼の隣に座った。と同時に、思い切り綾部の肩を抱き寄せる。 驚いたような目が俺を見上げてきた。
「どうしたんですか」
「・・・訊きたいことがあるんだが」
「はい」
「五年の誰かが、お前に近づいてないか?」
「五年・・・」
 暫く目を伏せて、綾部は考え込む。
 次に目を上げたときには、笑っていた。
「ああ、います。名前は忘れてしまいましたけれど」
 相変わらず、興味がないことに対しては記憶力を発揮しないらしい。
 俺も、名前をわざわざ教えるつもりなど毛頭なかった。
「そいつに、何かされた?」
「何かって・・・」
「触られたりとか」
「ああ・・・、偶然を装って、色々触ってきましたけど」
 けど、なんなのだと、俺は言いそうになる。
 なぜそんなに冷静にしていられるのか、解らない。
 こちらの気持ちなど、きっと解っていないのだ。
「嫌じゃ、なかったのか」
「・・・嬉しいものじゃないですが、適当にあしらっておけば、 いずれ諦めるだろうと思うんです」
 にこりと笑う顔に、嫌味はない。
 確かに、いずれは諦めるだろうが、それでも・・・。
「俺は、むかついた」
「久々地先輩が?」
 可笑しそうに笑う綾部を抱きなおして、俺は正面から見つめる。
「俺は、そこだけは我慢強くなるつもりとか、ないから」
 むかつくことは、ただ、むかつくんだ。
 まして、お前が誰かに触れられるなんて。
 俺以外ではない誰かに、その肌を。
「せ・・・」
 何かを言おうとした綾部の首筋に、俺はきつく口付ける。
 相手が身をよじっても、放さぬほど、強く。
「先輩、首はだめです。見えますから・・・」
 見えればいい。
 そう返事する代わりに、俺はきつく抱き締める。
 力を失った綾部を柔らかな草に押し倒して、俺は言った。
「綾部に触るのは、俺だけでいい」


 俺だけが、その肌に触れて、その声を聴き、愛でる。
 それで、いいはずなんだ。





 閉じられた目。
 草の上に散った髪。
 額に微かに滲む汗。
 薄く開いた口唇。
 そこから漏れる、擦れた声。
 全てを、俺は自分の意識の中に記憶しようとした。
「・・・先輩」
 不意の呼びかけだった。
「先輩は、嫉妬してたんですか?」
 綾部は、薄く目を開いていた。
「・・・そうだよ」
 その返事に、再び目が閉じられる。
 代わりに、口もとが笑みを湛えた。
「私に・・・」
 細い指が、俺の首筋を撫でる。
「私にこんなことを教えたのは、先輩です」
 こんな、自分が壊れるようなことを。
 そう呟く綾部は、可笑しそうに笑う。
「だから、嫉妬なんかしなくても、私は先輩以外とこんなことはしませんし・・・、 できませんから」
 最後の言葉を言い終わると、綾部はまたひとつ、深く息を漏らした。





 それらの言葉が真実かどうかなど、俺には解らない。
 だがその時たしかに、感じた。
 後輩の閉じられた目の中にある、確かな事実を。














 「詛い事」を書いてから「これは久々地にも嫉妬をさせなくてはならないなぁ」と思って 書いたものです。本当はもっと別のことも考えていたのですが、とりあえず、エロで。
 いっそ裏ものにしたほうが良かった…、気がする…。
 まあいいや(てきとう)。




2004.01.16









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